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◆ 作家のお話。 ◆
 
  異能の作家、西条八十
    母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
  ええ、夏 碓井から霧積へ行くみちで、
  渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

  この一節は、小説「人間の証明」の作中で使われた 西条八十の「ぼくの帽子」という詩です。たぶん、皆さんもどこかで聞かれた事があるんじゃないでしょうか?

  西条八十は1892(明治25)年、東京牛込に生まれました。家は江戸時代からの質屋でしたが、父、重兵衛の代で石鹸製造業にかわり、外国産の輸入石鹸の販売も行なった。

  娘さんに当たる西条嫩子(ふたばこ)さんによると、重兵衛さんは。質素倹約を旨とする、封建的な厳しい石鹸問屋の主人で、八十は幼い頃から夢多き性格で、石鹸の景品に出すマッチに貼り付けてある 外国直輸入の小さな美しい景色だったそうです。

  その景色から外国へのあこがれはふくらみ、五、六歳の頃から英語に堪能な番頭から手ほどきを受けていたそうです。

  八十は私立早稲田中学校の時に、英国婦人に英語を習い、十八の時、早稲田大学英文科予科入学。 すでに英訳をしていた八十には授業内容が不満だったらしく、退学。フランス語などを独学し、二年後に再入学しています。
  在学中、三木露風、川路柳虹、山田耕筰らの「未来」に加入。翌年卒業した後に堀口大学や日夏耿之介らと『詩人』を創刊。1918(大正 7)年、『赤い鳥』創刊とともに、鈴木三重吉の依頼で童謡創作をはじめ、1924(大正13)年から2年間ソルボンヌ大学で学び、帰国後、早大仏文科助教授となり、1931年に教授となっています。

  八十は英仏書を読みあさり、H・G・ウェルズの大ファンで、若い日は医者も希望していたそうです。
  八十は幻想的で神秘的な芸術作品を求め、アイルランドやベルギーに多いケルト民族に魅かれました。アイルランドの詩人、イェーツやシング、ベルギーのメーテルリンク、エドガー・アラン・ポゥ(アメリカ)、またフランスの詩人アルチュール・ランボウには生涯かけて研究を完成させました。
  童謡詩人としての八十は豊かなファンタジー性を特徴としました。1918(大正7)年『赤い鳥』11月号に発表した「かなりや」は、成田為三作曲で、異国情緒あふれた大正時代を代表する歌とされています。

  「かなりや」抜粋
    唄を忘れた錦糸雀(カナリヤ)は、
    後(うしろ)の山にすてましょか。
    いえ、いえ、それはなりませぬ。

  「肩たたき」抜粋
    母さん お肩をたたきましょう
    タントン タントン タントントン

  「鞠と殿さま」抜粋
    てんてん手鞠 てん手鞠
    てんてん手鞠の 手がそれて
    どこから どこまでとんでった
    垣根をこえて 屋根こえて
    おもての通りへとんでった とんでった

  「ズイズイズッコロ橋」抜粋
    ズイズイズッコロ橋、
    どこの橋、
    お山の奥の丸木橋。

  「お山の大将」抜粋
    お山の大将 俺ひとり
    あとから来るもの つき落とせ

  八十の童謡は、知らないうちに口ずさんだものばかりです。

  八十は童謡を書きながら、流行歌へと進みます。大正十二年の大震災の後、「民衆に歌を贈ろう!」と考えたのだそうです。代表的なもので、「蘇州夜曲」「東京音頭」「ゲイシャ・ワルツ」「青い山脈」「誰か故郷を想わざる」などがあります。

  八十は歌謡曲でも大きな成功をおさめます。八十は、詩人、フランス文学の研究者、翻訳家、童謡作家、歌謡曲作詞家と多様な顔を持っていますが、児童小説、童話作家というあまり知られていない顔も持っています。

  実は自分の西条八十体験は童話が一番最初で、長い間「赤い鳥」などに作品を発表していた童話作家で、当時の作家と同様に詩や童謡を書いていたと思い込んでいました。

  八十の童話集は「ふしぎな窓」「アイアンの島めぐり」の二冊と、確認が出来ませんが「鸚鵡と時計」の計三冊が出版されているようです。また、少女小説では「悲しき口笛」が東光出版社より発売されています。(美空ひばりの「悲しき口笛」とは無関係のようです。)


 「ふしぎな窓」のあらすじは、ロンドンにはたらくスラドンという青年が、ふしぎな老人から「窓」を買い、部屋に取り付けます。その窓を開くと、変わった昔風の町が現れます。町の塔には金の龍の旗がたなびいています。スラドンはたちまち、このふしぎな窓の虜となり仕事も手に付かなくなります。

  しかし幾日かたった後、窓の中の町で戦いが起ります。そして、真っ黒な熊の旗の国に滅ぼされてしまいます。スラドンはそのありさまに悲しみ、怒って窓を壊してしまいます。そして、一切消えてなくなったのです。

  このお話の初出年月日が確認できず、はっきり言えないのですが、1940年(昭和十五年)、エストニアがロシアに滅ぼされています。「ふしぎな窓」はこの事実と当時の最先端技術のTVをモチーフに作られたとされています。

  八十の童話は異国情緒にあふれ、ファンタジー性の強い作品が多くあります。 小川未明や浜田広介、新美南吉など当時の作者は、ほとんど日本を舞台にし、少年や動植物を主人公にしています。しかし八十の作品群は日本を舞台にしたものでも、詩の変幻性をベースに、どこか不思議や夢の匂いがあります。

  幼い頃、マッチのラベルで見た遠い憧れ、まだ見ぬ異国、未来。それが西条八十の本質だったように思います。