諸手船神事(もろたぶねしんじ)。十二月二?三日。
島根県八束(やつか)郡美保関町、美保神社。

青柴垣神事と同じく国ゆずりの神話に由来しています。

島根県の東側を昔は「出雲」と言い、出雲の国ができたときの神話が今も伝わっており、美保神社で毎年十二月三日に、オオクニヌシノミコト(大国主命)と息子のコトシロヌシノカミ(事代主神=えびすさま)のところに高天原から来た国ゆずりの使者「建御雷之男神(たけみかずちのかみ)」との物語の一場面をお祭りにしています。

建御雷之男神(たけみかずちのかみ)は、稲佐浜に降り立つと剣を抜き、大国主大神に国譲りを詰め寄ります。

大国主大神は「私の一存では決められません。我が子、事代主神(ことしろぬしのかみ)に聴いてください。」とおっしゃり、美保関で釣りをしていた事代主神のもとに熊野諸手船(くまののもろたぶね)に乗った使者を使わされました。

諸手船神事はこの場面を再現しています。

諸手船は二本の樟材をつぎ合わせ、古代の丸木舟を模したもので、長さ6.6m、最も幅の広い部分で1.12m、深さ51cm。四十年に一度つくられるそうで、現存する諸手船はもみの木が使用されています。

古代の造船技法を伝える貴重な資料として重要有形民俗文化財の指定を受けています。

古くは八百穂(やおほ)の祭りと称し、旧暦十一月、中の午日に行われていました。

神事は、美保神社発行「諸手船神事概要」によると、十一月二十七日、末社・地主社(事代主神の御陵と言い伝えられる)の宵祭から始まり、十二月一日、御注連縄懸式を行い、同日夜、客人當(客人社の當屋)が神楽を納め参籠します。

そして十二月二日午後、大国主命を祀る末社・客人社の宵祭を行います。

宵祭りには、ゴスギ(甘酒)なども献じられ、司の舞、巫女舞が奉納されます。

三日の午前中に新嘗祭(にいなめさい)を行い、午後、諸手船の神事を執り行います。

午後一時頃、神官・巫女・一年神主・頭人が客人神社におもむき、美保神社の巫女が、右手に鈴、左手に榊の枝を持ち、静かに神をむかえる舞を奏し祭典を行います。

その後、定刻(午後二時)になると、宮司以下神職が昇殿し、開扉、奉幣すると、裃着の庄屋・年寄代が小幣を捧げて上ノ神楽を納めます。

そして、宮司は本殿から降り、客人社に向かって設けられた神籤の座に着き、諸手船二艘に分乗する者、真剣持ち1人ずつ、大脇1人ずつを指名、改めて神籤によって、上番中から大櫂(梶取りの役)1人ずつ、準番中から?子六人ずつを宣示、それぞれ九人を選びます。

二手に分かれて諸手船に乗り、宮灘から、対岸の岬まで漕いで行き、客人神社の下に船を寄せて遥拝、再び宮の灘に漕ぎ出し、海岸の宮司と問答を行います。

大櫂が船の先に立って、
 「タカアーサンドー乗って候」と唱えると、
 海岸の宮司は、
 「めでとう候、店長地久国家安穏皇祖の栄え増さん事天壌のむた窮まりなかるべし、たかさんどうめでとう候」と答えるもので、
 大櫂が使者神、宮司が事代主神を表すとされています。

この際に交互に打ち合う合拍子が「天逆手(あめのむかいで)」という手締めルーツとされるもので、これを以って神事を終わります。

そののち二艘は互いに水をかけあい、競り合いながら港内を六周し宮灘に帰り、頭人がマッカ(真榊)と称する鉾型のものを船から外して、本殿まで競争。

どちらが先に神前に捧げるかによって優劣を競います。

おたがいに海水を擢でかけ合うのは潮水で清める行事とされ、昔の人は諸手船をその舟足の早さから「天の鳥船」と言ったそうです。

関連行事

薫りの毒菖(畠最眞美凝議崗美撞縦/12月2〜3日)

美保神社の祭神であるオオクニヌシノミコトとコトシロヌシノカミに、あしたの祭りのために供え物をします。

巫女の舞

(島根県美保関町美保神社/12月2〜3日)

祭りの日には、美保御社の巫女が、右手に鈴、左手に榊の枝を持ち、静かに神をむかえる舞をします。

船乗りをえらぶ占い

(島根県美保関町美保神社/12月2〜3日)

二艘ノ諸手船に乗る人は18人である。美保神社の宮司(神社の最高責任者)が神前で占いをして選びます。

案内

松江観光協会

http://www.mihonoseki-kankou.jp/matsuri/page4.html

交通アクセス(バス時刻表) 民謡関乃五本松

関連リンク お問い合せ (社)松江観光協会 美保関町支部

〒690-1311 島根県松江市美保関町七類3246-1(メテオプラザ内)

TEL 0852-72-2811 FAX 0852-72-3888

 
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