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六月-海と水辺の物語。
 
  ガアタロ。
 

 河童の由来譚になっているものに、河童の元は人形だと言う話があり、手がつながっているという共通のモチーフを持っています。

 昔、飛騨の匠が、大きな建物を建てる時、人手が足りず、手伝いにワラで人形を作りましたが、その人形の手は一本につながっていた。やがて建物は立て終り、役目を終えた藁人形に、飛騨の匠は、お前達は水の中に入って、そのあたりにあるものを取って食えといいました。それが、今の河童となっている、と言うお話です。

 アイヌの場合は、神様が戦をする時、人手が足りず、同じように人形を作って戦わせ、役目が終わると同じように、水の中のものを取って食えと言ったそうです。

  「ガアタロ。」
 

 むかし、このあたりでは河童の事をガアタロと呼んでいました。
 ガアタロは、ざんばら髪で頭の上に皿をのせた子供のような姿だとも、スッポンの大きなものだとも、言われていました。

 子供たちは、川に行く前、よく親に、「川に行っても、深い所にはあまり深い所にいくでねぇぞ。ガアタロが、尻から腹の血を吸い取ってしまうぞ。」と、言われたのでした。

 子供たちは、まだガアタロなど見た事がなく、ほんとじゃろうか?うそじゃろうか?と口々に話ながら、川で泳ぎました。

 ある時、子供たちが川で泳いだ後、河原に上がって、裸のまま相撲をとって遊んでいると、見たことのない子供が、ぴょこぴょことちかずいて来たのです。

 「俺も一緒に、相撲を取らせてくれ。」

 子供たちは、その子を仲間に入れてやり、相撲を取り始めました。しかし、その子は相撲が強く、男の子達は入れ替わり立ち替わり相手をしましたが、誰もかないません。最後は、二対一、三対一、みんな一緒になってかかりましたが、やっぱりかないません。

 もう強いのなんのって、その子は、みんなに勝って満足したのか、川にばしゃんと飛び込むと、向こう岸へと泳いで、山の中へ消えて行きました。

 子供たちは家に帰って、その子の事を話すと、親達はびっくりしました。

 「それはガアタロじゃないか?困った事じゃが、ガアタロなら、頭のてっぺんに皿があるはずじゃ。ガアタロはの、その皿に水がある時は、どえれぇつえぇが、皿に水が無くなると、とたんに弱くなるのじゃ。」
 「じゃからの、今度、ガアタロが遊びに来たら、みんなでとんぼ返りをして見るのじゃ。」
 「すると、ガアタロがまねして、頭の皿から水がこぼれて、力が無くなるからの。」

 親達は口々に子供たちに教えました。

 翌日、子供たちが川で遊んでいると、また、昨日の子供がやってきました。そこで子供たちは、みんなで、とんぼ返りをして見せました。その子は、楽しかったのか、みんなと同じようにとんぼ返りをして見せました。

 「相撲を取ろう!」その子が言いました。男の子達は、顔を見合わせ、うなづきました。

 「はっけよ〜い、残った!」村の男の子と、その子が相撲を取りました。しかし、その子は昨日とまるでちがって、ズズズズズッと、土俵の外に押し出されてしまいました。

 その子は目をぱちくりしました。
 村の子達も顔を見合わせました。

 「もう一回やろう。」

 その子が言いました。
 今度はすとんと投げられてしまいました。
 次も、その次も、男の子は、押し出されたり、投げられたり、一つも勝てませんでした。

 その子は、頭に手をやりました。
 髪の毛の中から、白いお皿がのぞきました。
 その子は、お皿をなでると、うなだれてそのまま川に入り、消えてしまいました。

 それから、その川で、ガアタロがあらわれる事は無かったと言う事です。

       ガアタロ。

   
 


 人形が河童になった話はもう二つあります。

 一つは、静岡県引佐郡玉村久留米木(現引佐郡大字東久留米木近辺)に伝わる行基上人の話で、

 行基上人は諸国を教化して故郷に帰った時、着物の汚れている老婆に出会い、「あなたは、なぜ着物を洗濯しないのか?」と尋ねます。老婆は、これから田植えをする所で、着物を洗う暇は無いと答えました。
 それを聞いた上人は、かわりに私が田植えをしましょうと、藁で人形をつくって田毎にこれを置きました。すると、その人形はたちまち田植えをおえて、水口より川に流れ、そこで反転してとどまり河童となったのです。
  そこでこのあたりを久留米木と言うようになりました、というお話です。

  もう一つは、隠岐に伝わるお話で、

 あまのしゃぐめは、村人の幸福をのろって、善神と争っていました。
 ある時、竹田の番匠という名工が、あまのしゃぐめが、入り江を横切って対岸まで、一番鶏が鳴くまでに橋を架けられたら、島人を皆喰ってもよいという、とんでもない約束をしました。
 あまのしゃぐめは、三千体の藁人形をつくり、その人形達に橋を造らせました。
 もう少しで橋が架かろうとした時、竹田の番匠は一番鶏の鳴きまねをし、その声に驚いたあまのしゃぐめは、
 「仕事をやめて、掻曲放擲け(けいまげうっちょ)!」と叫び、三千の内、千体は海へ、千体は川へ、千体は山へ、放しました。
 それがみな「があたろ」になったそうです。

 があたろは馬の足跡ほどの、水たまりがあれば、そこにいるそうです。があたろはもとが人形のため、もし人の力が、があたろより強ければ、腕を引き抜く事が出来ると言う事です。


  ◆補記
   久留米木には、行基上人が池をつくった祭、同じように人形を使って工事をし、それが河童の由来譚となっています。
 また、久留米木は、木がクルクル廻る様、淵を表した名前だそうです。