一陽来復と一陽来福。

冬至の行事で有名な所は、放生寺と穴八幡宮です。

放生寺と穴八幡宮はもとは放生寺と言う一つのお寺で、寛永十八年(1642年)、威盛院権大僧都 良昌上人(りょうしょうしょうにん)が、 高田八幡(穴八幡)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺です。

別当寺は神宮寺の一種で、神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀(さいし)・加持祈祷とともに神社の経営管理を行なったお寺です。

神宮寺は神社に付属して建てられた寺院で、神仏習合思想の現れで、社僧(別当)が神社の祭祀を仏式で挙行していました。

明治元年(1868)の神仏分離令により廃絶または分離されたため、現在では、放生寺と穴八幡宮の二つに分かれています。

冬至の日、放生寺と穴八幡宮では、共にお札を配っています。

放生寺では「一陽来福」と書いたお札で、年神のいる「恵方」の柱にはると、健康で家が栄えるとしています。

また、穴八幡宮では、朝早くから、「一陽来復」のお札を配り、今では、節分の日までお札を出しています。一陽来復とは、暗い冬が終わって、明るい春が来るという意味です。

この日にはユズ市、暦売りが立ち、露店がではユズや翌年の暦が売られています。

「柚子湯」を読む。

放生寺と穴八幡宮。

放生寺では、聖観世音菩薩、通称、融通虫封観世音をお祭りしています。

聖観世音菩薩は、南海の補陀楽浄土におられる菩薩様で、世の人々の声を聞き、苦しみや悩みを救い悪事災難を除くことを御誓願とされている慈悲深い仏様です。

観音経によると、私たちが災難や苦難に遭った時、観音様を一心に念ずると自由自在に姿を変え救いに洗われるとされる事から観自在菩薩とも云います。

また、その姿が三十三身あるとされる所から観音霊場が三十三の札所となった起こりともなっています。

放生寺の観音様は古くより融通虫封じ観世音とされ、夜泣きや疳の虫の祈祷霊験あらたかな寺として親しまれて来ました。

一陽来福のお札は、江戸天保年間より一部の信徒に授与したのが始まりです。

その後、今日の様に多数の信徒に授与するようになりました。

一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=陰極まって一陽が生ずると言う言葉に、「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来るよう、また、観音経の結びの「福聚海無量」=福聚(あつ)むること海の如く無量なり と言う偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられたそうです。

このお札は「ゆうずうさん」と呼ばれ、 融通=滞りなく通じると言う事で、近年では人間関係(融通円満)を願う方も多く、そのお札は、一家の居間等に、その年の恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜零時にお札を貼るそうです。

一回落ちてしまったのは、もう効力なしだそうです。

本尊様は秘仏のため、年二回の開帳法会で御参拝出来ます。

穴八幡宮(あなはちまんぐう)は旧称は高田八幡宮、東京都新宿区の西早稲田に鎮座している神社で、蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされています。

康平五年(1062)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったといわれています。

冬至の日に配られる、筒状の「一陽来復」のお札で知られています。

この形は、「一からスタートして丸く回ってまた一に戻る」という意味のほか、このお札の中には神様に関わる縁起の良い福ものが入っており、そのひとつひとつが鎮座して一周を描くように入っているため、丸いのだそうです。

一陽来復のお札は、年に三回、冬至、大晦日、節分に、その年の開運方位に向けて貼るそうです。

家族がいつも団欒して集まる部屋に貼りますが、柱に貼るのは「神様が柱を背負う」ことになるので、良くないとされているそうです。

案内

放生寺と穴八幡宮、東京都新宿区西早稲田二丁目1-11。

放生寺HP。

 
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