大師講・太子講。

十二月二十二日ごろ(旧暦十一月二十三日ごろ)は、一年中でも昼が最も短い冬至で、旧暦二十三日から二十四日にかけては、さまざまな祭りが行われます。

その一つに、「二十三夜待ち」という月待ちの行事があります。

二十三夜は新月から数えて二三日日、下弦の月といって左半分が輝いています。

この日、人々は「二十三夜講」という集団を作り、飲んだり食べたりしながら月の出を待ちます。

この日は、「大師講」「太子講」と言って、近畿地方等では、弘法大師(真言宗を開いた僧、空海)、元三大師(平安時代中期の天台宗の僧、良源)、智者大師(天台宗を実質的に開いた中国の僧、智串)をまつると言い、また聖徳太子といった偉大な人物が村から村へと巡り歩いて、人々の暮らしを見守る日とされています。

関東や東北地方では、「お大師様」は一本足の神様だという地方が多いようです。

また、子どもを大勢連れた貧しい女の神様であって、大雪のこの日に亡くなったという地方もあります。

また、この日には、お大師様の足跡をかくすためにかならず雪が降ると言われ、それを「跡隠し雪」などと呼びます。

東北地方ではこのころ激しい吹雪になることがよくありますが、これを「大師講吹雪」と呼んでいます。

これをあと隠しの雪、でんぼ隠しの雪、等と呼びます。

お大師様は小豆粥が好物としていて、この日に訪れてくるお大師様に「大師粥」、「霜月粥」という小豆粥を作り、連れているたくさんの子どもたちに食べさせるために、長短の著を添えてもてなします。

大勢の子どもたちに食べさせるにはいちいち膳を用意することができないと言って、箸に団子を刺して供える風習が、東日本だけでなく広島県や島根県にも広がっています。

島根県大原郡では、二十一個の長い生団子を言い、翌朝小豆の味噌汁にして食べます。

広島県山県郡の太子講団子は小豆の味噌汁に団子を入れたものを言います。

同県高田町では、弘法大師が癩者の姿をして雪の夜に宿を求められ、自ら畑から大根とカブを盗んで来て汁にして食べたそうです。

お大師の足は指が無いため、その足跡を隠すために雪を降らせて立ち去ったと言い、二十三日の大師講には小豆に大根・カブを入れた団子汁を食べます。

しかし、この行事の大師や太子は歴史上に実在する人物だったのではありません。

もともとは、祖霊の一つ、「オオイゴ」と言われる来訪神(まれびと)が冬至のころ稲の収穫祭に村々を訪れ、翌年の豊作を約束すると信じられていました。

そして、仏教が盛んになったのち、オオイゴに大師や太子の字があてられ、そこから混乱が生まれたようです。

猟師、炭焼き、木こりなど山で働く人々は、「山の神」を「オオイゴ」と呼び、農村山村を問わず広く信仰されて来ました。

タイシ神とは、神の新たなる復活を意味して出現する神の子の事であろうと推測されています。

稲作を中心とする農村では、山の神は春に山から降りてきて田の神になり、秋の収穫のあとではまた山に帰る神ですが、山村の山の神は、ずっと山に住み、山や木を守っていると考えられていました。

そして、炭焼きの技術を教えたのは聖徳太子だったという言い伝えがあったことから、山の神、オオイゴの祭りが聖徳太子や弘法大師などの名のついた祭りに変化したようです。

さらに、関東より西の地方では、大工や左官、石屋、桶屋などの職人も、古くから聖徳太子を信仰し、太子講を組んで祭りを行っていました。

お九日等と同様、この月の三の日を大師の日として、三日を先の大師、十三日を中の大師、二十三日をしまいの大師等という例もあります。

中の大師は名だけで、行事らしいものは無いのが、普通でだそうです。