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九月ー重陽の節句とお月見。
 
  菊の宴。
    五節句の最後は「重陽」です。 菊の節句、九月節句とも言います。
  中国では昔、奇数を陽の数とし、九月九日は易の陽数の極である九が重なる日であるため、「重九」とも言い、大変めでたい日とされていました。
  この日は邪気を祓い長寿を願って菊の花を飾り、酒を酌み交わして祝ったとされています。 またこの日高い丘に登り、須臾(しゅゆ・かれはじかみ)の実を頭に差し挟むと邪気を祓うとされていました。 にほんでは平安時代の初めに伝わり宮中儀礼となりました。
  「寒菊の宴(重陽の宴)」が催され、杯に菊の花を浮かべた酒を酌み交わし、長寿を祝い群臣に詩歌を作らせました。
  江戸時代には五節供の中で最も公的な性質を備えた行事になり、武家ではこの日、菊の花を酒にひたして飲み祝いました。 また民間では粟飯を食べる風習があったと言う事です。
  「黄英。」
    馬子才(ば・しさい)は菊好きの人で、珍しい菊があると聞くと、どんなに遠くでも買いに出かけました。
  子才は金陵というところに菊を買いに行き、その帰り道、陶というロバに乗った青年と幌馬車に出会いました。陶は子才と同じく菊を好む青年で、姉が金陵という土地を嫌ったため、よその土地に行くところだと言いました。子才は陶が気に入ったので、自分の所に狭いが家があるから来ないか?と誘いました。
「黄英姉さん、どうしよう?」
陶は馬車にいる姉に声をかけると、幌馬車から二十歳くらいの美女が降りてきました。 
「家が狭いのは構いませんが、庭が広い方がいいわ。」
「今は荒れていますが、庭は広いですよ。」
子才がそう答えると黄英は微笑みながらうなずきました。

  子才の家の南に、荒れてはいましたが広い庭と小さなあばら屋がありました。陶と黄英の姉弟はそこに住む事となり、陶は北の庭で子才の菊作りを手伝いました。
  子才は弱って枯れた菊は捨ててしまうのですが、陶は枯れた菊があると一度引き抜き植え直すのです。すると不思議な事に菊はみな生き返りました。
  子才には呂氏(りょし)という妻がいましたが、黄英を気に入ったらしく、話をしたり、一緒に縫い物をしたり、生活の立ち行かぬ姉弟を何かと面倒を見ました。
  陶は子才の捨てた菊を持ち帰り自分の庭に植えていきました。荒れた土地は次第に整い、菊の花の咲く秋がやって来ました。 子才の家と陶の小屋の間の南の畑は一面の菊の花が咲きそろいました。陶の菊は見た事も無い種類のものばかりでしたが、よく見るとそれは子才が捨てた菊だったのです。

  その菊はたちまち評判となり、遠くの町からも買い求めに来ました。姉弟の菊作りは大きな財となり二人の生活を支える事となりました。
子才は黄英に聞きました。
「あなたは結婚なさらないのですか?」
「四十三ヶ月したら、その時期が来るかしら。」
黄英は笑ってそう答えました。

  一年が経ち、二年が経ち、陶と黄英の菊作りは広がって行きました。
  ある春の日、陶は広東に行ったまま帰ってきませんでした。子才は黄英を心配しましたが、もう菊作りが順調に運んでいたため、困る事もありませんでした。

  四年目の春の終わりに子才の妻、呂氏が亡くなりました。妻を送り、ひとりとなった子才のそばにいつしか黄英は立っていました。秋になり陶から手紙が来て、姉をもらって欲しいと伝えてきました。こうして二人の菊作りが今まで通りに始まったのです。

  ある時、子才は新しい菊を買いに、金陵に出かけ、そこで、見事な菊を見つけました。 そこは黄英と陶の故郷でした。もしやと思った子才は店の主人が出てくるのを待ちました。そして、店から出てきた主人は、やはり陶でした。
  子才は陶に一緒に帰ろうと言いますが陶はお金を姉に渡してくれと言って、帰ろうとしません。 子才は店を売り払い、無理矢理陶を連れ帰りました。
  しばらくして曹(そう)と言う子才の友人がやって来て、酒宴となりました。陶と曹は意気投合し、深夜まで飲みました。曹を送り返した後、陶はお酒を持ったまま、菊の咲き誇る花畑に倒れ込みました。子才と黄英は驚いて駆け寄ると、そこには人の大きさほどもある菊が倒れていました。
子才は驚いて黄英をみると、
「あなた、見てはいけません。」
と黄英は言うと菊となった弟に着物をかけました。
根が枯れ、陶はついに人の姿に戻る事はありませんでした。
黄英は枝を挿し木して、大切に育てました。「陶酔」と名づけられたその菊は白い花で、お酒を注ぐと元気になり、勢いを増しました。

  その後黄英はなんの変わりもなく、
 平穏に日々を送り、二人で菊を作りつづけ
たそうです。

              「柳斎志異より。」


   
    日本の重陽は御九日つまり「おくんち」です。
日本の一般の重陽は秋祭りと結びつけて祝う事が多く、その日の祭礼を「おくんち」「おくにち」と呼ぶようになりました。
  御九日は御供日・御宮日とも書き、収穫を祝うものが多く、また九月九日に行うとも限らず、唐津おくんちは十一月二日〜四日に行われ、九州北部では、おくんちは単にお祭りをさす場合もあるようです。
  御九日には赤飯・小豆飯をつくり、米の粉でつくった餅を飾ったり、またこの日に茄子を食べるとか、甘酒をつくる土地もあるそうです。
  宮中では九月九日には中国と同じく菊花宴・重陽の宴が催されました。 そしてほぼ一ヶ月後、旧暦十月五日に残菊の宴が開かれました。
  残菊の宴は咲き残った菊を観賞しながら酒宴を催すもので、重陽の節句に何か差し障りが会った時などにも催さわれていたようです。
  ちなみに天皇家の菊の紋章は後鳥羽上皇(1185)に使われた後、明治二年の太政官布告で十六花弁の紋章が正式に定められたようです。