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十一月の行事ー神様と縁結びのお話。
 
  弘済和尚と海亀。
    「弘済和尚と海亀。」は日本霊異記に記録されている説話で、登場する弘済(ぐさい)禅師と、作中の伽藍造営は実話とされています。 作中登場の地名なども特定されていて、亀の部分以外は実話では?というお話です。
  「弘済和尚と海亀。」
 


  備後国三谷郡の長官は、百済の乱に出兵するにあたり、「もし、何事もなく帰る事が出来たら、諸々の神祇のために伽藍を造り、仏像をつくりましょう。」と誓願しました。 そして、長官は出兵中、何事もなく、百済から弘済禅師を連れて帰り、誓願通り伽藍を建立しました。 弘済禅師はその伽藍の僧となり、土地の人々はみな仏法を敬いました。

  伽藍にはまだ仏像がありませんでした。 そこで弘済禅師は伽藍に安置する仏像を作ろうと都にのぼり、宝を売り、代わりに仏像を作る金と丹を買いました。
  難波の津に戻った所、弘済禅師は大きな亀を三匹売っているのに出くわしました。 禅師はお金を与えて、その亀三匹を海に返してやり、船を頼んで童子二人と備後へと帰途についたのです。

  夜半になり、辺りが騒がしくなりました。
  弘済禅師が目をさますと、傍らにいるはずの二人の童子がいません。 外に出ると船頭達が、童子を海に投げ捨てた所でした。
「何をするのじゃ! 早くあの子らを救え!」
しかし船頭達は禅師の言葉に従いませんでした。 その内暗い海の中に、二人の童子は消えてしまいました。 船頭達は金や丹を禅師から奪うと禅師に海に飛び込むよう脅しました。 禅師はこのような事をしてはいけないとさとしましたが、船頭達は聞き入れませんでした。
  禅師は観音菩薩に願を起こし、海に飛び込みました。 しかしそこには岩があり、禅師はそのまま海の中に取り残されてしまいました。

  日が昇りました。 禅師は一晩海の中で生き延びられた事を不思議に思い、観音菩薩に手を合わせました。 すると不思議な事に身体が海を進んでいくのです。 ゆっくり、ゆっくり確かに波を越えて進んでいたのです。 禅師はふと足下を見ると、岩だと思っていたものは海亀でした。
「なんと、私は亀の背に乗っておったのか?」
ウミガメは禅師を乗せたまま、ゆっくり陸の方へと泳いでいきました。
  
  お昼を過ぎた頃、海亀は浜へとつきました。
遠くから子供二人が禅師の方へ駆け寄ってきました。
 その浜には海に沈んだはずの童子が二人待っていたのです。 二人とも禅師と同じように亀の背に乗って浜まできたのでした。
  海には三匹の亀がこちらの方を見て何度もうなづき、そのまま海中へと消えていきました。 弘済禅師は、これは亀を救ってやった恩(めぐみ)を報いたのかと、童子達と話ながら備後の寺へと帰って行きました。


  しばらくして、船頭達、海賊が六人、この寺に金と丹を売りに来ました。
  弘済禅師は、これはなんとしたことか、奪ったものを売りに来るとは大胆な事よと驚きましたが、長官がその金と丹をはかり、代金をもって行く後について、海賊達の前に出ました。
「あっ!」

  海賊達は弘済禅師を見ると驚き、ガタガタふるえ、声も出せず、足も立ちませんでした。そこへ童子達が海賊達の前に出ると、海賊達は声にならないような叫び声を上げ、這うように外に出ていきました。
「つくづく巡り合わせであることよ。」

  弘済禅師はこの者たちを哀れに思い、刑罰を与える事はしませんでした。 そして金と丹を得た禅師は仏を作り、塔を飾って供養しました。

  禅師は後に海の側に住み、行き来る人々に仏法を教えました。 それは八十過ぎまで続いたと言う事です。

         「弘済和尚と海亀。」

   
    作中の備後国三谷郡は現在の広島県三次市にあたり、古墳が多い地域でもあります。 弘済禅師の寺、三谷寺は、三次市寺町廃寺とされ、発掘調査が行われています。
  百済への出兵は六六一年出兵、六六三年白村江の戦い。 三谷寺はこの後、造営された事になり、国分寺より七十年程度、早い時期に造られた事になります。
  六百六十年に百済が滅亡、百済から王族、貴族を含めて数万人とも言われる、大勢の人が日本に逃亡、その中に多くの仏僧がいた、またそれ以前から、僧が来日していたようです。

  前回の良弁上人も百済系、今回の弘済和尚も百済の人。
  歴史上では遣唐使、中国から僧を招いて国の基盤を整備したと、思い込んでいたのですが、ちょい違うようです。 仏教伝来が六世紀前半から中頃にかけて、国分寺、国分尼寺が七四一年、大仏開眼が七五二年ですから、およそ二百年。 朝鮮半島とのさまざまな交易・交流、百済の滅亡が過去の日本に大きなインパクトを与えた、仏教や新しい技術が人から人へ徐々に伝わり、地方にも浸透していって、ある程度の時間をかけて日本全体が変化していった、と考えるのが妥当かも知れません。
  ◆補記
  ◇日本霊異記 上巻第七
 亀の命を贖(あがな)ひ生(いきもの)を放ちて現報を得(え)亀に助けらるる縁(ことのえにし)
 今昔物語、十九ノ三十に同話。
◇広島県三次市寺町廃寺跡。
 http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/r_bunka_index.html
 http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/bunka_teramati_ato.html
◇古代の民衆生活と交通・交易
 http://www.mars.dti.ne.jp/~suzuki-y/kodai.html
◇寺町廃寺跡(三谷寺)
 http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/kankou/sightseeing/1712.html
◇古書販売ー寺町廃寺跡の公式報告書
 http://hm.aitai.ne.jp/~gensen/subspD.html
◇東海地方の古代瓦塔研究ノオトーその時代の瓦でつくった塔の図です。
 http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0707nagk.pdf