餅の的。

「餅の的。」のお話は、長者が奢って餅を的にしたところ、餅が白鳥となって飛び去り、その家や村が没落したり、滅んだりするお話です。
 説話としては風土記の中に限って記録され、地名伝承、長者没落型のお話に分ける事ができます。


餅の的。

「風土記 豊後の国(とよくにのみちのしりのくに)」

豊後の国(とよくにのみちのしりのくに)は、本(もと)、豐前の国(とよくにのみちのくちのくに)と合わせて一つの國たりき。


昔者(むかし)、まき向(むく)の日代(にちしろ)の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし大足彦(おおあしひこ)の天皇(すめらみこと)、豐國直等(とよくにのあたひら)が祖(おや)、菟名手(うなで)に詔したまひて、豐國を治めしめたまひしに、豊前の國仲津の郡の中臣(なかとみ)の村に、往(ゆ)き至(いた)りき。


時に、日晩(く)れて僑宿りき。

明くる日のあかときに、忽(たちま)ちに白き鳥あり。

北より飛び来たりて、此の村に翔(かけ)り集ひき。


菟名手、やがて僕者(ぼくしゃ)に勒(おほ)せて、其の鳥を看(み)しむるに、鳥、餅(もちひ)と化爲(な)り、片時(しまし)が間(ほど)に、更(また)、芋草(いも)敷千許株(いくちもと)と化(な)りき。


花と葉と、冬も栄き。


菟名手、見て異(あや)しと爲(おも)ひ、歓喜(よろこび)て云ひしく、「化生(なりかは)りし芋は、未曾(いまだむかし)より見しことあらず。


實(まこと)に至徳(みめぐみ)の感(ひびき)、乾坤(あめつち)の瑞(しるし)なり。」といひて、すでにして朝廷(みかど)に参上(まいのぼ)りて、状(ことのさま)をあげて、奏聞(まお)しき。


天皇(すめらみこと)、ここに歓喜(よろこび)有(ま)して、すなわち、菟名手に勅(の)りたまひ、重ねて姓(な)を賜ひて、豐國直(とよくにのあたひ)といふ。


因りて豐國といふ。 後、ふたつの國に分(わか)ちて、豊後の國を名と爲せり。


        「風土記 豊後の国」


「伊奈利社」

風土記に曰く、伊奈利(いなり)というは、秦中家忌寸等(はたのなかつへのいみきら)が遠(とほ)つ祖(おや)、伊侶具の秦公、いねを積みて富み裕(さきは)ひき。


乃(すなわ)ち、餅を用(も)ちて的(いくは)と為ししかば、白き鳥と化成(な)りて飛び翔りて山の峰に居り、(白鳥が稲と化して)伊禰奈利生ひき。


逐(つい)に社(やしろ)の名と為しき。


其(そ)の苗裔(すえ)に至り、先(さき)の過(あやまち)を悔(く)いて、社の木を抜(ねこ)じて、”根のあるまま抜いて”、家に植えてのみ祭りき。


今、其の木を植えて蘇(い)きば福(さきはひ)を得、其の木を植えて枯れれば福(さきはひ)あらず。


        「伊奈利社(注参照の事。)」


「餅の的。」

昔、豊後国球珠(くず)の郡にひろき野のある所に、大分の郡にすむ人、その野に来たりて家つくり、田つくりて、すみけり。


在(あ)り着(つ)きて家富み、栄(たのし)かりけり。


酒飲み遊びけるに、とりあえず弓を射けるに的の無かりけるや、餅ひっ括りて、的にして射けるほどに、その餅、白き鳥になりて飛び去りにけり。


それより後、次第に衰(おとろ)へて惑ひ亡せにけり。


後は廣(むなし)き野になりたりけるを、天平年中に速水の郡に住みける訓邇(くに)と云ひける人、さしもよくにぎはひたりし所の廃(あせ)にけるを、借(あたら)しとや思ひけん、また此處に渡りて田を耕(つくり)たりけるほどに、その苗みな枯れ亡(う)せければ、驚き恐れて、又も耕(つくら)ず捨てにけりと云える事あり。


        「餅の的。」


上記の三つの説話に共通するものは、餅が白鳥に化す、白鳥が餅に化すという点です。


白鳥は稲を運んでくる、穂落とし神と考えられていました。

白鳥は穀霊であり、稲魂です。

稲魂が寄りつけば稲は実り豊作となる。

稲魂が離れれば稲は枯れて不毛の地となる。

稲が実るも実らぬも、神の意志と考えられていたようです。


古来には、稲が豊作かどうか、実際に餅を的に矢を射て吉凶を占った事があったと、考えられています。

ただ、餅を的に矢を射るのは祭礼の場のみで許される事で、それ以外は禁忌を犯した事になる、との事です。

普通の人、普通の解きには餅を的に矢を射てはいけないですね。


最後に一つ。

やはり奢った長者が餅を的に射るのですが、毎年秋になり稲が実ると、どこかともなく、数えきれないほどの白鳥が飛んできて稲を食べ尽くしてしまい、その長者は没落したという昔話も伝わっています。


白鳥は持っていっちゃう事もあるんですね、稲。


◆補記

◇豐国の伝承

稲作以前、イモの発見を伝える古い伝承と重なったものと考えられています。
 芋の花や葉の永遠性を語り、その優位性、神聖性を伝える物語で、稲の文化とは違う芋の文化を伝えているものです。

◇伊奈利社
 京都市伏見区の稲荷山、その西麓の稲荷神社の事。今井似閑が風土記残篇として採択。

古代の風土記とは別種の記事とされています。

◇餅の的
 玄傳本豊後国風土記の発見流布以前に他の著書に引用された記事のもの。
 古代の風土記とすれば、筑紫国風土記の記事と認められる、そうです。
 現大分県球珠郡九重町田野と考えられています。


 
 
Google
Web pleasuremind.jp