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妖怪のお話。
 
  魔道の天狗。
    天狗には負のイメージもあります。
  もともと山神山霊には荒魂的要素があり、暴風雨や怪音、さまざまな怪異現象を起こし人をさらうと信じられ、それが悪い天狗の恐怖へとつながったようです。
  日本には「魔道に堕ちる」怨霊が天狗になるという信仰があって、怨恨を抱いて死んだものや、自分の力を自慢しながら不満を抱いて死んだものは、魔道に堕ちて人に祟ったり、世の中に災禍をもたらすと恐れられていました。特に有名なものが「太平記」巻二十七の「雲景未来記」で、南北朝の大動乱は、崇徳院、後鳥羽院、後醍醐院や、玄ぼう、真済、慈恵、尊雲など、不遇の天皇、高僧達が大魔王となって起こしたものとしています。
  「雲景未来記。」 
 
  鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が吉野に潜幸され、南北朝時代が始まり、足利尊氏が征夷大将軍となり京都に室町幕府を開いた翌年の出来事です。

  一月、明けてまもないに夜空に凶星が現れました。その後各地で異変が起こり、将軍塚から不気味な音が聞こえ、清水寺は炎上し、石清水八幡宮の宝殿が鳴動したのです。六月には四条河原の勧進田楽で、桟敷が倒壊し多くの死傷者が出て、その次の日、大雨がその死者を押し流してしまいました。

  その一週間ほど後の事です。
  出羽の国、羽黒山に雲景と言う山伏がいました。雲景は諸国を行脚したいと春を過ぎた頃に上京し、新熊野(いまくまの)に住みました。そして都の名所・旧跡を巡り歩いていましたが、六月二十日、一度天竜寺を見てみたいと思い、京の西へと向かいました。
  雲景は太政官庁の跡地辺りで、六十才位の一人の山伏に行きあいました。その山伏は「あなたはどこに行かれるおつもりか?」と雲景に問いました。雲景は「私は朝廷と将軍が敬い建立した天竜寺を一度見てみたいと思いまして、お参りするつもりです。」と答えました。
  その山伏は「天竜寺も素晴らしいが、あの寺は夢窓の住居で、見どころはありません。私たちの住んでいる山こそ日本一の霊地でしょう。あなたも修業の想い出に、おいでになりませんか?」と、雲景を誘って愛宕山という高い山へと登っていきました。
  その山頂には白雲寺という立派なお寺があり、玉石を敷き、黄金がちりばめられてありました。雲景は心を強く惹かれ、このままここで修業したいと思いました。そばにいた山伏は雲景の気持ちに気がついたのか袖を引っ張り、「せっかくいらしたのですから、中をすこしご案内いたしましょう。」と、本堂の後の僧坊へと案内しました。
  僧坊の奥には素晴らしい住居があり、そこには大勢の人が集まり座っていました。
  部屋の上座には敷物を二畳敷き重ねた上に大きな金色の鳶が、そしてその右脇には、大弓、大太刀を携えた大男が、左の席には天皇の礼服の上に日月や星々を織り出した上着を着て金の笏を手にした方々が何人も座り、右の席には香染めの袈裟を着て水晶の数珠を持った方が何人も座っていました。
  雲景は恐れ自分を案内した山伏に、「これはどのような方達の集まりでしょうか?」と聞きました。すると山伏は、「上座に見える金色の鳶が崇徳上皇であられる。右脇の大男が筑紫八郎為朝、左の席の上から、淳仁天皇、井上皇后、後醍醐院、右の席は諸宗のすぐれた徳のある高僧たち、玄ぼう、真済、寛朝、慈慧、頼豪、仁海、尊雲などの方々が、悪魔王の棟梁となられて、今ここに集まり、天下を乱そうとご相談なされておる。」と、楽しそうに答えました。
  雲景は何と言う所に来てしまったのかと呆然とかしこまっていると、一座の長老格の山伏が、「そちらのお方はどちらから来られたのか?」と尋ねました。雲景を案内した山伏が、これこれで私が案内して参りましたと答えると、長老は「それでは、近頃の京の出来事は良くお知りであろう。都ではどんな出来事がありましたか? 京の者たちは何を話しておりましょうか?」と、問い返しました。
  雲景はかしこまって答えました。
「たいした事はありません。最近では四条河原の桟敷が崩れて多くの者たちが命を落としましたので、これは天狗の仕業であろうかと言い合っております。また、将軍ご兄弟が執事のために仲が悪い事もあり、これが天下の大事にならないだろうかと、もっぱら心配しております。」
「うむ、そのように話しておるのか。じゃが、四条河原の桟敷が崩れたのは私たちの仕業ではない。あれは、橋の勧進をするために僧侶がもうけたものであるのに、関白殿下や皇子、征夷大将軍、洛中の庶民、商人、雑役のものなどを、一座に雑居させたため、正八幡大菩薩も春日大明神も山王七社の神々がお嘆きになり、大地を支える堅牢地神も驚きになられ、そのために桟敷はもろくも崩れたのである。」
「また、神道・王法共に無く、上の権威がなくなり下の者が奢って、善悪・道理をわきまえる事も無くなっておる。将軍と言えども同じである。将軍兄弟のどちらがよいとも、執事の師直・師泰の心得違いとも言えぬ。」
雲景は心が暗くなり尋ねました。
「神道・王法共に無く、道理も通らず、善悪もわきまえない世の仲はどうなるのでしょうか?」
長老は答えました。
「まず将軍兄弟がただ一人の天子を軽く見るから、執事その他の家来も将軍を軽く見るのである。末法の世、下がまず勝って上を犯すであろう。師直がまず勝ち、世の仲は多いに乱れて、父子兄弟が互いに憎みあい、正しい政治も行われず、簡単に平和がおとずれることはなかろう。きっと百日のうちに世間が驚くような大事件、一大事が起こるであろう。」
雲景は、ではどうしたらこの世が治まるのか尋ねようとした所、急に大人物と身分の高い方が来られたと騒がしくなり、日も暮れかけたので、「改めて参ります。」と暇を乞い寺の門を出ました。すると辺りは急に明るくなり、雲景はもとの太政官庁の跡地の椋の根元に立っていたのでした。

  雲景は自分は天狗道へ行ってきたと覚りました。
そしてそこで見聞きした事は世の中の戒めとなろうと急ぎ筆を取り、熊野社の護符の裏に誓文を書き添えて朝廷の上奏の役人に手渡しました。しかし雲景の記した天狗の未来記はおおやけにするには差し障りのあるものとしてふせられる事になりました。
  しかし天狗の言う通り、足利直義は高師直を誅殺しようとして失敗。八月に入ると足利尊氏と直義は、屋敷を高師直に取り囲まれ、天下は乱れて行くのでした。
  その年の押し詰まった晦日の夜、持明院殿に子供の首をくわえた犬が現れ、多くのものを震え上がらせたと伝えられています。

           「太平記」巻二十七「大稲妻天狗未来記の事」
   
    「雲景未来記」に登場する大天狗達の集会するところが愛宕山で、「天狗草紙」では大天狗たちが、比叡山、園城寺、東寺、醍醐寺、高野山、東大寺、興福寺などを驕慢の徒と批判風刺しています。反対に「是害房絵詞」では是害房(ぜがいぼう)天狗と愛宕の天狗が、比叡山の高僧に散々こらしめられています。
  大魔王達の言い分の方がまともに聞こえる所が、「太平記」が「太平記」たる由縁かもしれません。
 
  ◆補記
  太平記
http://j-texts.com/sheet/thkm.html

太平記絵巻
http://www.saitama-kenpaku.com/SIRYOU/siryou-top.html

慶応義塾奈良絵本データベース
http://dbs.humi.keio.ac.jp/naraehon/ehon
 是害坊絵詞
http://dbs.humi.keio.ac.jp/naraehon/ehon/index2.asp?ID=KL040&FRAME=True

天狗草紙
http://www.pref.ishikawa.jp/bunkazai/kaiga/1.htm

天狗のサイト
http://www.city.sakaide.kagawa.jp/local/minwa/tengu9.html

愛宕山
http://pinhole-web.hp.infoseek.co.jp/atagoyama.html
http://www3.kcn.ne.jp/~jinlime/atagoyama.htm
http://www.geocities.jp/kyoto_atagoyama/