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妖怪のお話。
 
  天狗の出現。
    天狗様と言えば赤い顔に長い鼻、山伏の姿で、一本歯の高下駄をはく、というイメージができ上がっていますが、原型の天狗様は、もっと違うものでした。
  「天狗」には二つの系統があり、一つは山神山霊、山の神としての天狗と、怨霊、怨恨を抱いて死んだものや、自らの力を自慢しながら不満を抱いて死んだものが、魔道に落ちて天狗となる、いわゆる善神としての天狗と、魔王としての天狗があります。
  善神としての天狗は山岳宗教の修験道の寺院や霊場、その修行者を守る護法善神で、その山の神が護法童子・金剛童子として祀られ「南無満山護法善神」と礼拝されています。この善神はその山を開山した高僧や、行力のある山伏に服属し、守護霊となり、使役霊となり、諸国を自由に飛び回ります。
  そのため疾走飛行自在で飛鉢法によって食物や水をもたらす事が出来ると信じられていました。
  平安時代には「天狗」は天狗と呼ばれず、天童や護法童子と呼ばれ、そのイメージは豊後国、国東半島屋山長安寺の太郎天像(平安時代)、「志貴山縁起絵巻」などに見られます。
  「飛鉢法験。」 
    三善清行の子、浄蔵は比叡山に入り苔むした洞穴で修業をしていました。
浄蔵には護法童子が身を守り世話をし付き従いました。 護法童子は人の目に見えず、浄蔵の験力でいろんな仕事をしました。

  ある時のことです。
浄蔵は見えない護法童子に鉢を持たせて飛ばせ食べ物を求めさせました。 この術は鉢だけが空中を飛んで行くように見える事から、飛鉢法と呼ばれていました。 しかし、護法童子が持ち帰った鉢には何も食べ物が入っていませんでした。

  そんな事が三日続きました。
浄蔵は不思議に思い、四日目に山の峰に登り鉢を見ていました。 鉢は都に飛んで行き、都の人に食べ物を喜捨してもらうと、浄蔵の岩屋へと帰って来ました。 しかし、北の山から他の鉢が飛んできて、浄蔵の鉢から食べ物を移し取ると、飛び去って行きました。

  誰が護法童子にこのような事をさせているのだろうか? 不審に思った浄蔵は自分の護法童子に加持をして、鉢を以てその鉢の行き先を追わせました。
  浄蔵は鉢を追って北へ北へと進みました。 霧の中を分け進み、山の奥深くへ入り、もう二、三百町も歩いて来たかと思った時、谷のはざまに清水が流れている所に出ました。 松の向こうに方形の草庵があり、苔むした石畳が続き、庵の中には一人の老僧が読経をしていました。

  飛鉢の法はただの人に使えるものではない、この人の仕業なのだろうか?
浄蔵がそう思っていると、老僧は振り向き、「あなたはどなた様じゃろうか? ここは並大抵の事では人のこない所ですぞ。」と、尋ねました。
浄蔵は答えました。
「私は叡山にて修業しているものです。 しかしここ数日、飛鉢法で喜捨を求めた所、その食べ物を他の鉢に奪われていました。 いったいどうした事であろうかと、その飛鉢を探し、まかりこしました。」
老僧は驚き、「それは難儀された事でしょう、いっさい知らぬ事でした。尋ねて見ましょう。」というと、聞こえないような不思議な声で誰かを呼びました。 すると庵の後ろの方より、唐装束を着た天童が現れ座りました。
「あの方のおっしゃられる事は本当か? けしからん事だ。 今より以後はあってはならんぞ。」
老僧が諌めると天童はひたすら頭を下げ下がりました。
「今後はそのような事はありませんよ。 はるばる遠い所をさぞたいへんだったでしょう。」
そういうとまた聞こえないような不思議な声で誰かを呼ぶと別の天童が現れました。
「この御方になにか良いものをお出ししなさい。」
そう言われると天童はいったん下がり、瑠璃の皿にむいたからの梨を四果盛り、 浄蔵に持ってきました。その果物を食べると、たちまち疲れも取れ、身も涼しく、軽くなりました。

  浄蔵は比叡山に帰りましたが、その後、再び鉢の食べ物が無くなる事はありませんでした。   

        「故事談。三ノ十九、二一四。」
 
   
    この話の主人公、浄蔵は三善清行の息子で、比叡山で受戒、十九歳の時、横川苔洞に三年間籠ったとされ、顕教、密教、易ト、加持修験、芸能などに才があったと言う説話が多数あり、父の清行を死から甦らせた説話もあります。
  「故事談。」にはこの話の直前、三ノ十八、二一三に同じ浄蔵の話があり、浄蔵が八坂の法観寺にいる時、強盗達が押し入り、その強盗達を護法童子の力によって押さえ込んだと記されています。
  この時の護法童子は本尊が不動明王でその八大童子とされています。
  他には「志貴山縁起」では剣の護法、曼珠院の是害房絵詞では良源の護法童子を唐装束をつけた童子、乙護法、若護法としています。
  基本的には童子であったようです。

  文献上「天狗」という言葉は、「日本書紀」舒明天皇九年の条に見え、中国で雷のような音を出して飛ぶ流星の事を「天狗(あまきつね)」と呼んだ事から、同じ意味で使われています。本質的に日本の霊的な存在としての「天狗」とは別物ですが、これは天童子・護法童子が飛行する事から混用され、それが定着したのではないか?とされています。

   では、日本ではどう呼ばれていたのかと言うと、民間では、「天白(てんぱく)」「天ぐう」「天ぐん」などと呼ばれていたようです。

  天狗のイメージも童子形から変化して行きました。
  もともと護法童子・金剛童子は山岳信仰の守護神であり、修験道の修業は、苦行精進の結果として山神と同体化(即身成神)し、その絶大な霊力を身につけて超人的験力を得る事でした。そこに山の神と修行者の山伏とが同一のものとして捉えられる理由があったようです。
  また修験道の山岳寺院では正月の修正会、三月の法華会、六月または七月の蓮花会などで、山伏や稚児達が延年舞を行い、神楽、田楽、舞楽、伎楽、散楽等を演じました。
  その時良く使われたお面が悪魔を払うと信じられた鬼面と天狗面でした。中でも天狗面は、伎楽の先払いとして魔を払う治道面と、毒蛇を食べるとされる迦楼羅面で、治道面は鼻の高い面、迦楼羅面は鳥のくちばしを持ったものでした。
  その面をかぶった山伏の姿が、鼻の高い天狗とカラス天狗の二種類のイメージとなったとされています。
 
  ◆補記
  ◇飛鉢法験 浄蔵二 「故事談 三ノ十九、二一四」
 同じ話が、「発心集四ノ三」、
 関連の話が、「本朝神仙伝二十」、「今昔物語集二十ノ三十九」にあります。