養老伝説。

古ゆ人の 言ひ来(け)る老人の
 変若(を)つといふ 水そ名に負う 滝の瀬


昔から人々が言っていた、老人が若返ると言う水ですよ、
 その名にふさわしい滝の瀬は。
        万葉集 巻六 1034 大伴宿禰東人


これは、変若水、若返ると言う意味の"をつ"の言葉が出てきますが、養老伝説の事を歌った万葉歌です。

養老伝説は、最初、若返る、または痛みなどが取れる、という泉の伝説と、後代に入って発展した、酒好きの父を養っていた男が山中で酒の湧く泉を発見する、と言う説話の二つを言います。
前者は実際にあった事実、であり、初めに記した万葉歌も、事実とされています。


「養老の滝伝説。」

わが朝のこと。 常に人の口にあるほか、一両条申すべし。


昔、元正天皇の御時、美濃国に、貧しく賎しき男ありけるが、老いたる父を持ちたり。

この男、山の木草を取りて、その値を得て、父を養ひけり。

この父、朝夕、あながちに酒を愛し、ほしがる。これによりて、男、なりびさこといふものを腰につけて、酒を沽(う)る家に行きて、つねにこれを乞ひて、父を養う。

ある時、山に入りて、薪を取らむとするに、苔深き石にすべりて、うつぶしまろびたりけるに、酒の香しければ、思はずにあやしくて、そのあたりを見るに、石の中より水流れ出づることあり。

その色、酒に似たり。汲みてなむるに、めでたき酒なり。うれしくおぼえて、そののち、日々にこれを汲みて、あくまで父を養ふ。


時に帝、このことを聞こしめして、霊亀三年九月に、そのところへ行幸ありて、御覧じけり。これすなはち、至孝のゆゑに、天神・地祇あはれみて、その徳をあらはすと、感ぜさせ給ひて、のちに美濃守になされにけり。

その酒の出ずる所を養老の滝とぞ申す。かつはこれによりて、同十一月に年号を「養老」と改められける。


       「十訓抄 中巻 巻六 第十八話。」

男の名前は後代になって「孝子」とされるようになります。

養老伝説の初見は、続日本紀・養老元年十一月十七日条の「養老改元の詔」とされていますが、ここでは、孝子の話がない形で記録されています。

また、ここではお酒が湧いているわけではなく、醴泉-美泉であり、若返る効果、薬効のある水が湧いていたという記録となっています。


癸丑、天皇、軒に臨みて、詔して曰はく、

「朕今年九月以て、美濃国不破行宮に至る。留連すること数日なり。

因て当耆郡多度山の美泉を覧て、自ら手面を盥ひしに、皮膚滑らかなるが如し。

亦、痛き処を洗ひしに、除き癒えずということ無し。朕が躬に在りては、

甚だその験有りき。また、就きて飲み治る者、或は白髪黒に反り、

或は頽髪更に生ひ、或は闇き目明らかなるが如し、自餘の痼疾、咸く皆平癒せり。

昔聞かく、

「後漢の光武の時に、醴泉出でたり。これを飲みし者は、痼疾皆癒えたり」

ときく。符瑞書に曰く、

「醴泉は美泉なり。以て老を養うべし。蓋し水の精なり」

といふ。

寔に惟みるに、美泉は即大瑞に合へり。朕、庸虚なりと雖も、

何ぞ天のたまひものに違はむ。

天下に大赦して、霊亀三年を改めて、養老元年とすべし」とのたまふ。


霊亀三年(養老元年)九月二十日、美濃国に行幸していた元正天皇は当耆郡(たきぐん)におでかけになり多度山の美泉を御覧になった。

同年十一月十七日天皇は詔して次のようにおっしゃった。

私は今年の九月美濃国不破の行宮に至り、数日間逗留した。

そこで当耆郡多度山の美泉を見に行き、その水で手や顔を洗ったところ、皮膚が滑らかになるようであった。

また痛いところを洗ったら、その痛みが取れて治ってしまった。私の体でさえこれほどの効き目があった。


また聞くところによると、この泉の水を飲んだり浴びたりする者の、あるものは禿げた頭に髪が生じ、またあるものは見えない目が見えるようになった。

その他の長く治らない病気もすべて治ったという。

昔、後漢の光武帝の時に醴泉が湧き出して、これを飲んだ者は長く治らなかった病気がすべて治ったと聞いている。

符瑞書にも「醴泉は美泉なり。以て老を養うべし。蓋し水の精なり。」とある。

私は平凡で才能がないが、どうして大瑞という天の賜物に背けようか。天下に大赦して、霊亀三年を養老元年とせよ、と。


この醴泉-美泉の最初の記録は、日本書紀・持統天皇七年十一月、八年三月の条にあり、そこでは、近江国益須郡で多くの病人を治した水が沸いたとしています。

同様の記録は風土記中に多く見られ、

出雲国風土記・楯縫郡佐香郡、

播磨国風土記・賀古郡酒屋村、

       同揖保郡酒井野、

       同揖保郡萩原里酒田、

       同加毛郡下鴨里酒屋谷、

豊後国風土記・速見郡酒水条、

肥前国風土記・基肄郡酒殿泉条、

等が記録されています。


養老伝説が"酒"が湧くとなったのは、これらの美泉が、酒の醸造に使われ、実際、続日本紀・養老元年十一月十七日条の記事の後に、この水で酒を醸した、という記録が続日本紀・養老元年十二月条の記事として記録されています。


では、実際に酒が湧いた、と言う記録はないのか?と言うとあるんです。


これは「養老伝説」とは別に「酒泉伝説」とされ、播磨国風土記・印南郡含藝(かむき)の里、酒山の起源説話となっています。


又、酒山あり。大帶日子の天皇の御世、酒の泉湧き出でき。

故、酒山といふ。百姓飲めば、即ち酔ひて相戦ひ相亂(みだ)る。

故、埋め塞がしめき。

後、庚午の年、人ありて掘り出だしき。

今に猶酒の気あり。


大帶日子(景行)天皇の御世に酒の泉が湧き出て、酒山と呼ばれた。

人々がその酒を飲み、酔って相乱したため、埋め塞がせた。庚午の年(天智天皇九年=670年)にある人が掘り出した。

今に至っても酒の気がある。


実際に"酒"が湧いた、という記録はこれだけですが、他の美泉も後代になると酒が湧いたという事になっていきます。


「養老伝説」ものち、孝子の要素が加わり、「養老の滝伝説」となります。

文献上の初出は、1252年成立の「十訓抄 中巻 巻六 第十八話。」に、また十訓抄から補入されたと思われる同様の話が「古今著聞集」に記録されています。


生命の水・若返りの水より、お酒が湧いた方がめでたいのかもしれません。<


補記。

養老伝説ー養老の滝
 http://www.infocreate.co.jp/hometown/yoro/yoro.html
◇謡曲「養老」。
 雄略天皇の勅使が、泉の水を飲んで長寿を得た老人とその子から由来を聞き、祥瑞として聖代を称え、長寿を祝う祝言能。
◇昔話「子は清水」


 
 
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