お話歳時記

乙女塚、前編

処女塚(おとめづか)、前編。

  「一人の処女を二人以上の男が争い、板挟みにあった処女が自殺する。」という求婚説話を処女塚式妻争い伝説と呼び、万葉集中には菟原処女(うないおとめ)伝説、真間手児奈(ままのてこな)伝説、桜児(さくらこ)伝説、蔓児(かずらこ)伝説などがあります。

  今回はこのうちの菟原処女伝説を前後編でお送りします。

  菟原処女の伝説は万葉集中にその物語が書かれているのですが、処女塚という古墳を前に、亡くなった一人の少女と二人の青年をしのんで歌が歌われる、と言う形をとっています。

  その歌は、

  万葉集 巻九  1801〜1803 田辺福麻呂作
          「葦屋の処女の墓に過る時に作る歌」
   同  同   1809〜1811 高橋虫麻呂作
          「菟原処女の墓を見る歌」
   同  巻十九 4211〜4212 大伴家持作
          「処女の墓の歌に追同する一首併せて短歌」
に、記され、二番目の高橋虫麻呂のものがこの伝説の詳細を伝えています。

  菟原(うない)は摂津国菟原郷、現在の兵庫県芦屋市から神戸市東灘区・灘区にかけての地域にあたります。 舞台となる古墳は処女塚を中心に東西二つの求女塚があり、処女塚を菟原処女、東求女塚を智奴壮士、西求女塚を菟原壮士の墓としています。

 処女塚は現在神戸市東灘区御影町二丁目にあり築造時期は四世紀後半と推定されています。 東求女塚は五世紀前後の築造と推定され、西求女塚は五世紀前半の築造とされています。

  古墳の被葬者が伝説の当事者であった可能性は低く、もともとあった三つの古墳に付け加えられる形で伝説化していったものとされています。

  少なくとも万葉集の時代(天平十六年744)には、この古墳群は菟原処女たちの墓であると認識されていたようです。

  虫麻呂の伝える菟原処女は、「八歳子(やとせこ)の 片生(かたお)ひの時ゆ 子放りに 髪たくまでに 並び居る 家に見えず うつゆふの こもりて居れば」ー八歳のまだ幼い頃から、小放り髪に束ね結い上げる年頃まで、並んでいる隣の家にもみえないで、と裕福な家庭で大切に育てられていた、としています。

  菟原処女の心は智奴壮士にあったようですが、同郷の菟原壮士にも求められ、当時の共同体の中では他郷の男の元に嫁ぐ事がかなわなかったのではないか、と推察されています。

「処女塚(おとめづか)」

  昔、摂津国芦屋に菟原処女(うないおとめ)という美しい娘がありました。

  両親に大切にされ、幼い頃から髪を結い上げる年頃になっても、屋敷の奥深くで育てられました。 器用な娘で機を織れば近在の者のかなうものではありませんでした。

  処女は春の花のように、秋の葉のように、香り高く、色深く、美しく成長したのでした。 処女の美しさは広まり、処女をひと目見ようと屋敷のまわりに垣をなすほど多くの男が集まり、処女に求婚しました。

  その中に智奴壮士と菟原壮士という二人の青年がありました。 智奴壮士は泉に生まれた若者で菟原壮士は菟原処女とおなじ芦屋の若者でした。 二人は年齢も容姿背格好も、顔形、人柄もほぼ同じで比べようもありませんでした。

  智奴壮士と菟原壮士は処女のもとに毎日通いました。 季節の物を届け、花を贈り、和歌をたくしました。 二人の勢いに押されたのか、大勢の求婚者は一人また一人とあきらめていき、冬の訪れる頃には智奴壮士と菟原壮士の二人のみが残りました。

  二人は日が暮れると門の前でばったり会う事もありました。 二人は門の前で待ち、門の前にそれぞれの贈り物を置き、そして帰っていきました。 処女は何も受け取る事はありませんでした。 それでも二人は毎日通ってきては、帰っていくのでした。

  処女は困っていました。

  長い年月にわたり通う二人の男の心がいい加減なものではないとわかっていました。 二人の心がどちらが勝るとも劣るとも思われませんでした。

  御簾の影にいても垣の外の二人がわかりました。話そうにも話せず、聞こうにも聞けませんでした。 それはどちらか一方を決める事につながりました。 二人が帰るまで、処女はただ座っている事しか出来ませんでした。

  日が昇る頃、処女は近くの生田川のほとりへ出かけました。 凍るような寒さでしたが、処女には明け方にしか外に出る機会が無かったのです。

  生田川には水鳥が飛んで来てエサをついばみました。 あたりには処女と水鳥だけしかいませんでした。 煩わしい事はいっさいありませんでした。

  突然、水鳥達がぱぁっと舞い上がり、向こう岸の葦の生い茂る方へ飛んでいきました。

  そこには誰かが立って葦笛を吹いていました。 鳥達は葦笛の音に呼ばれ、その男のまわりに集まったのです。

  処女は岩陰に身を隠しました。

  男は処女に気がつきませんでした。 水鳥達にエサを与えました。 水鳥達はエサをついばみ終えると、男のそばで舞いを舞うように戯れました。

  処女にはその様子が不思議でたまりませんでした。 処女は翌朝も生田川に出かけて岩陰で待ちました。

  しばらくするとまたあの男が現れ葦笛を吹きました。 すると昨日と同じように水鳥がその男のまわりに集まり、舞いを舞うように戯れたのです。 それから処女は毎朝その舞いを見るのが楽しみになりました。 ほんのひととき、自分の苦しい立場を忘れる事が出来ました。

  水鳥になって葦笛の音にあわせて自由に舞いを踊りたい。 処女はただ見ているだけで自分が踊っているような心持ちになるのでした。

  そんな中、智奴壮士と菟原壮士の争いが起こりました。

  二人は処女に贈るものを探していました。 智奴壮士は小間物屋で黄楊の櫛を求めました。 菟原壮士も同じものを求めたのですが、それはその問屋に一つしかありませんでした。

  黄楊の櫛を手に入れられなかった菟原壮士の両親は、土地のものに手をまわし問屋に先約があったと言わせてしまいました。 その嘘は誰の目にも明らかでした。 智奴壮士も菟原壮士も引けぬ事となり、ついに私闘をする事となったのです。

  その事は処女の耳にも入りました。 処女は大変驚き両親に頼んで二人の争いをやめさせました。 黄楊の櫛一つ、いいえ、争いのもとが自分なのは良くわかっていました。

二人の自分を求める気持ちも、純粋さも、激しさも、処女にとっては大きな大きな重荷にすぎなかったのです。


  翌朝、まだ暗いうちから処女は家を抜け出し生田川に出かけました。

  あの方なら私をどこかに連れていってくれるかも知れない。 この苦しみから救ってくれるかも知れない。 処女は岩陰で草笛の男が来るのを待ちました。

  朝の光がさしこみ、水鳥達がやって来ました。 処女のまわりを舞いながら、生田川に降りていきました。 処女は凍えた手足の痛みも気になりませんでした。

  もうすぐあの人が来る。
  葦笛を吹きにやって来る。

  水鳥達がぱっと空に舞い上がりました。 あの人が来たのでした。 処女は息を吸うと葦笛の男に近づいていきました。

  「!」

  処女は息を呑みました。 葦笛の男に見覚えがあったのです。 その男は智奴壮士でした。

  決して恋をしてはいけない相手でした。

  智奴壮士の後にもう一人の男が来ました。 処女は身をかがめました。 菟原壮士でした。

  菟原壮士は智奴壮士の横に腕組みをして立ちました。
  「止められてしまったな。」
  「ああ。」
  智奴壮士は水鳥を見つめて答えました。

  「決着をつけるいい機会だったんだがな。」
  菟原壮士はそう言うと水面に石を投げました。
  水鳥が驚いていっせいに飛び立ちました。

  智奴壮士は空を舞う鳥を見ながら言いました。
  「私たちが争っても決着はつかんよ。」
  「なぜだ?」
  「心は鳥と同じ、好きなものの所に飛んでいく。」

  菟原壮士はフッと笑いました。
  「振り向かせる自信がないか?」
  智奴壮士は菟原壮士を睨みました。
  一羽の白鳥が舞い降りました。
  「心が鳥と同じなら、私は射ぬいて見せよう。」

  そう言うと菟原壮士は弓を取りました。
  「何をする?」智奴壮士は身構えました。

  「あの鳥を射ぬいたものが、
   処女の心を射止める。どうだ?」
  菟原壮士は智奴壮士を試すように言いました。
  「剣を持って争うのではない、
   どちらか優れているか決めるだけだ。」

  智奴壮士は白鳥を見ました。 何も知らない白鳥が水面を泳いでいました。

  「水鳥を射ても心を射止める事はできぬ。」

  菟原壮士は智奴壮士を冷たく見ました。
  そして弓を絞りました。
  「お前が射止めぬなら私が射止めて見せよう。
   降りるなら後で文句を言うな。」
   菟原壮士は本気でした。

  「!」

  智奴壮士は思わず弓を取りました。
  負けられなかったのです。

  ブォンと弓の弦が唸ると二本の矢が一直線に白鳥へと飛んでいきました。 ドスドスッと鈍い音がしました。

  処女は自分の体に矢が突き刺さったように体がびくんと震えました。

  「キュォウ!」
  白鳥は一声鳴くと水面に羽を落としました。

  処女の目に泳ぎをやめ流れていく白鳥がうつりました。 空を飛ぶ鳥達がいっせいに水面に飛んできたかと思うと、バタバタバタッと羽音を残し、東の空へと飛んでいきました。

  智奴壮士はハッとして鳥達を見ました。
  してはいけない事をしてしまいました。
  「・・・また決着がつかなかったか。」

  菟原壮士はそう言うと何事も無かったかのように帰っていきました。

  智奴壮士は水面を見つめていました。 あれほどたくさんいた水鳥が一匹もいませんでした。 智奴壮士は葦笛を見ました。 そして川に捨てると立ち去っていきました。

  処女は胸が苦しくてたまりませんでした。 しかし立ち上がると葦笛を追いました。 河の流れは葦笛を押し流し下流へと運んで行きました。

  処女は流れに沿って走りました。 そして葦笛を見つけました。 葦笛は二本の矢につらぬかれた白鳥のそばに流れ着いていました。

  処女は水の中に入ると白鳥を抱きかかえました。 鳥達がどこからか飛んできて処女のまわりに舞い降りました。 悲しげな声があたりに響きました葦笛が流されてどんどん遠くにいき、そして水の中に沈んでしまいました。

  処女の瞳から涙がぽろぽろこぼれ、止まりませんでした。


  智奴壮士は、葦原の中を行くあても無く歩いていました。 菟原壮士に負ける事が出来ず、射る必要のない白鳥を射てしまいました。 殺してしまったのです。

  「ごめんなさい。」
  智奴壮士の前に菟原処女が立っていました。
  「処女。」
  智奴壮士は驚きました。

  こんな所で出会うはずの無い人でした。

  「私は、あなたが大切にしていた鳥達を、白鳥を射させてしまいました。 う私のためにあなたが苦しむ事はありません。もし黄泉の国で会えるなら、鳥となって飛んできてください。」

  そう言い終わると、処女は葦笛を智奴壮士に手渡し、
  智奴壮士の目の前から消えてしまいました。

  智奴壮士は葦笛を見ました。 川に捨てたはずの葦笛でした。

  「!」

  智奴壮士は川に走りました。 川の中に鳥が悲しげな声を上げて群れていました。 智奴壮士は川に入るとその中に入って行きました。

  鳥達は一匹も逃げませんでした。 その中に智奴壮士は処女を見つけました。 二本の矢に射ぬかれた白鳥を抱いて息絶えていました。

  智奴壮士は何が起こったのかわかりました。 自分が殺したのだと悟りました。

  処女の顔にこびりついた氷をぬぐい、抱きしめると、智奴壮士はそのまま自らの命を断ったのでした。

    「処女塚。」 後編につづく。


◇表記について。

  智奴壮士ー小竹田壮士とも称されています。(万葉集巻九・1802) 智奴は大阪市堺市から岸和田市のかけての地域。 小竹田は智奴の一部で現在の和泉市にあたる地名。

  大和物語では智奴を血沼(ちぬ)としています。 菟原は兎原、宇波良とも書かれます。 生田川の生田は現在の神戸市、摂津国矢田部郡に以久多の地名があります。

◇万葉集

  現存する最古の和歌集、全二十巻。 和歌の歌番号は「国歌大観」(松下大三郎・渡辺文雄遍、明治三十四〜三十六年)による。 万葉の意は、「万世も伝われ。」と祝う意とも、「万の言。」という意ともされ、二説が今も伝わっています。

  巻一から巻十六中の作歌年時の明らかなものは天平十六年(744)までで、天平十六年から翌十七年までに十六巻が整理されたと推察されています。 のこり四巻は天平十八年以降の大伴家持の私的な歌記録が後になって加えられたものです。

  最後の一首は大伴家持による天平宝字三年(759)正月元旦の賀歌一首、新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事(あたらしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)巻二十 4516  で、締めくくられています。

◇処女塚(おとめづか)と求女塚(もとめづか)。

処女塚 菟原処女の墓とされているもの。
 現在地・神戸市東灘区御影町二丁目 全長約六十九メートルの前方後円墳。 築造時期は四世紀後半と推定。 現在史跡公園となっています。

東求女塚 智奴壮士の墓とされているもの。
  現在地・神戸市東灘区住吉町一丁目 全長約八十メートルの前方後円墳。 五世紀前後の築造と推定。

西求女塚 菟原壮士の墓とされているもの。
  現在地・神戸市東灘区都通三丁 全長約九十メートルの前方後円墳。 五世紀前半の築造と推定。

東西求塚古墳は現在それぞれ求塚東公園、求塚西公園として整備保存されています。(求塚東公園は破損状態で、半分は幼稚園になっています。)

処女塚案内

http://inoues.net/ruins/otomeduka.html

三月のお話。