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お盆と閻魔様のお話。
  地獄往来、小野篁
    閻魔様は、ヤマ(Yama)、イマ(Iama)のはずなんですが、 中国「聊斎志異」中の「閻羅(えんら)」というお話の中では、 莱蕪(らいぶ)の李中之(りちゅうし)というこの世の人となっています。
  李中之は秀才で性格は剛直な男でした。 なぜか何日かに一回死に、三、四日すると生き返り、普通の人と同じく暮らすという 変わった男でした。
  同じ県にやはり何日かに一回死に、また生き返る男がいました。 その男が言うには、「李中之は閻羅で、冥府では私もその部下なんだ。」と話しました。 昨日、李中之は冥府で何をしていた?と尋ねると、 「曹操を取り調べて、二十回鞭打った。」と答えたという事です。
          「閻羅」 聊斎志異より 
  日本にも似たようなお話がにあります。
小野篁(おののたかむら)は一日に二刻ずつ冥府に行き、閻魔庁第二の冥官になったと、 今昔物語、江談抄、宇治拾遺物語等に伝えられています。
  小野篁(おののたかむら 802〜852 延暦二年〜仁寿二年)は、 野相公(やそうしょう)、野宰相(やさいしょう)とも称され、 六歌仙前に位置する平安時代の重要な漢詩人・歌人で、 「文徳実録」篁卒伝には「当時文章天下無双」と、 また「三代実録」には「詩家ノ宗匠」とたたえられています。
  篁には「野相公集」五巻が存在したと言われていますが現存していません。 その作は「経国集」に二首、「扶桑集」に四首、「本朝文粋」に四首、 「和漢朗詠集」に十一首、「今鏡」に一首、「河海抄(かかいしょう)」に一首が 残されています。 (「新古今集」以下のものは後人の作とされる「篁日記」からのもので、 本人の作とは考えられてないようです。 また、異母妹との恋愛談・大臣の娘への求婚談からなる「篁物語」は虚構と されています。)
  篁は多情多感な博識の英才でそれを自認し、 直情径行、世俗に妥協せぬ反骨の士であり、"野狂" の異名を持っていました。藤原常嗣の専横に抗議し、嵯峨上皇の怒りに触れ、隠岐の国に流された事でも有名です。
  その才能・反骨ゆえ、世間では恐れるものも多かったのか、 閻魔庁第二の冥官、という伝説が生まれたようです。
  小野篁、情に依りて西三条の大臣を助くる語
    昔、小野篁と言う人がありました。
篁は学生の頃、罪を犯してしまい罰せられる事になりましたが、 その時、藤原良相(よしみ)という方が、 宰相として、篁をかばい、難を逃れる事が出来ました。篁はその事を知り、良相に大変感謝しました。
  何年か後、篁は宰相に、良相も大臣になりました。 しかし良相は重病となり、しばらくたって亡くなってしまいました。 良相は閻魔王の使につかまり、閻魔王宮に連れていかれました。 そして、罪を定められる時、冥官の中に小野篁を見つけました。
  良相はこれはいったいどうしたことだろうか?と思っていると、 篁は閻魔王に「この方は、心の正直な人で、人の為になる方です。 今度の罪は私に免じて許してもらえないでしょうか」と言いました。閻魔王は 「それは難しい事だが、篁がそう言うなら許してやろう。」と答えました。
  篁が良相を捕らえた者に「すぐに現世に連れ帰りなさい。」と言うと、 良相は、目覚め、元のように自分の部屋にいたのでした。
  その後、良相は病も癒え内裏に上がりました。 そして篁に会うと、閻魔庁での出来事を尋ねました。
  篁は、 「以前私の弁護をしていただいたお礼をしただけですよ。 ただしこの事は誰にも言わないでくださいね。」と答えました。良相はこれを聞いて 「篁は只の人ではない、閻魔王宮の臣だ。」と知り、いよいよ恐れ、 「人のために正しくあらねばならん。」と、いろんな人に説いてまわりました。 しばらくするとこの事は自然に世間の知る所となり、 「篁は閻魔王宮の臣として冥府に通っている人だ。」と、 皆、恐ろしがったという事です。
     今昔物語 「小野篁、情に依りて西三条の大臣を助くる語」
 
   
 
  このお話はかなり有名なもので、小野篁といえば地獄の冥官という事になっています。 篁は六道珍皇寺の境内にある井戸から地獄に入り、冥府の仕事を終えると、 嵯峨の清涼寺横、薬師寺境内の井戸(生の六道)からこの世に戻ったと伝えられています。
  あまり知られていない話に矢田寺の沙門満慶の物語があります。
  大和国金剛山寺に沙門満慶というものがありました。
   小野篁は満慶が戒行ある事を敬っていました。 篁は常人には計り知れない不思議な人で、 その身は朝廷にありながら冥府に神遊するとされていました。
  冥府の閻魔王は菩薩戒を受けたいと願いましたが冥府には戒師がありませんでした。 篁は「自分の師であり友であるものに戒律精純な者がおります。」と閻魔王に話すと、 「すぐここに連れてきて欲しい。」と篁に頼みました。 篁はすぐ寺に詣でると満慶に事情を話しました。 満慶は篁と冥府に入ると、閻魔王に菩薩戒を授けました。 閻魔王は満慶に漆の篋(はこ)を送りました。 満慶は帰ってこれを開くと米がいっぱいに入っており、 使っても使ってもお米が減る事はありませんでした。
  そのため満慶は満米と呼ばれるようになったと伝えられています。
  金剛山寺は地蔵菩薩発祥の地ともされています。
もともとは十一面観音を本尊としていましたが、満米上人の時より、 地蔵菩薩をまつったとされています。 地蔵信仰の中心ともいわれ、境内には閻魔様もまつられてあるそうです。
  地獄を行き来するものは、生きながら地獄の冥官をする特殊な例を除けば、 死んだ者を連れに来る地獄からの使い、という事になります。 中国ではこの使いを「鬼卒」と呼んでいるようです。

  「布客」
    長清で反物を売る商売をしている男がいました。
  泰安で商いをしている時、良く当たる星占いの易者がいるというので 占ってもらう事にしました。 しかしその易者は男の顔を見るなり、 「なぜ南に旅をしてきたのか? すぐに家に帰りなさい!」と怒鳴りました。 慌てた呉服商は易者の言う通り北の方の我が家に向かいました。
  その途中呉服商は小使いのような短い着物を着た男に出会いました。呉服商はその短い着物の人と、あれこれ話ながら旅をしました。 そして道々食べ物を買い分けあいながら食べ、また食事を共にしました。その男は それをひどくありがたがったのです。 呉服商が 「あんたはいったい何をしているのかい?」と尋ねると、その男は 「捕まえる者がおるんで、長清に行く所でさぁ。」 と答えました。 呉服商は笑って聞き返しました。 「いったい誰を捕まえにいくんだい?」 男は何人かの名前が書いてある書きつけを呉服商に見せました。 その書きつけには何人かの名前が書いてあり、 一番最初に呉服商の名前が書いてありました。 「俺は生きている者じゃねぇ、高里山、山東四司の手先でさぁ。 あんたの寿命はもう尽きたってことですよ。」 呉服商は驚いて、地面に頭をこすりつけてその男に命乞いをしました。 「それは出来ない事でさぁ。 ただ、書き付けにはたくさんの名前が書いてあるで、 みんなひっつかまえるには、まだ何日もかかりますぜ。 あんたは早く自分の家に帰って、後の始末をつけなせぇ。 それが今までのつき合いに報いられる事だと思ってくだせぇ。」 男はそう言って呉服商を起こし、また歩きはじめました。
  二人が黄河のはたまで来ると橋が流され、行き来が出来ず多くの人が困っていました。 すると男は呉服商に、 「あんたはもうすぐ死んで、その時にはお金は一文も持っていけねぇ。 すぐに橋を建てて、旅の人の役に立ってやりなせぇ。 お金はずいぶんかかるだろうが、あんたのためになるかもしれねぇ。」 と、言いました。  
  呉服商はその通りだと思い、家に帰ると妻子に話して、死に仕度をすると、 日を限って大勢の人夫を雇い、橋をつくらせました。 橋はしばらく後に完成し、呉服商は覚悟を決めて死ぬのを待ちました。 しかしあの男は現れませんでした。
  呉服商はおかしな事があるものだと思っていた所、 あの男がひょっこり現れました。
「俺はあんたが架けた橋の事をうぶすな様にお知らせした。 たぶん、うぶすな様から冥司に連絡が行ってあんたの寿命が延びたんだろう。 あの書き付けからあんたの名前が消えちまった。」
呉服商はその男といつものように食事を共にし、酒を飲みました。 翌朝男は消え、以来二度と出会う事はありませんでした。
                    聊斎志異より 「布客」

   
    鬼卒は人の中を動き回るためか、一般的な鬼のイメージ、角や牙は無いようです。 地獄で亡者を罰している鬼を "獄卒(八万獄卒)" "羅刹(阿蒡羅刹)" と呼ぶのですが、 鬼卒と同じものかどうかもわかりません。
  ただこの鬼卒、人手が足りないのか、人間が代役を勤める事もあったようです。 生きながら冥府の手先を勤める者を、走無常(そうむじょう)、活無常(かつむじょう)、 勾司(こうし)、勾死人(こうしにん)とさまざまな呼んでいます。 李中之のように突然死んだかと思うと冥府の仕事をした後、また生き返るそうです。
  何回も死んだり生き返ったりされたら、まわりのものが困ると思うんですが、 みなさんはどう思われますか?
  ◆補記
  ◇篁は先祖に小野妹子、孫に小野小町・小野道風を持ちます。
 滋賀県滋賀市志賀町には小野一族を祭る小野神社があり、 境内には小野篁神社、小野道風神社と小野一族ゆかりの人物が祭られています。 ちなみに小野神社の祭神、米餅搗大使主命(たかねつきおおおみのみこと)は、 応神天皇の頃、日本で始めて餅つきをしたとされ、菓子作りの神様とされています。
◇「布客」
 "客"は旅をする、という意味。 布を扱い旅をしている者、という意と思われます。
  小野篁関連史跡
  滋賀県滋賀市志賀町小野神社。
 http://www.genbu.net/data/oumi/ono_title.htm
京都・堀川ー雲林院白毫院のそば、小野篁の墓と紫式部の墓。
 http://www6.plala.or.jp/sin-oomiya/sikibunohaka01.html
◇京都の六波羅蜜寺近くの六道珍皇寺境内の閻魔堂。
 http://kyoto.e-machi.ne.jp/tmpl/osusume/travel/tougei/chinnouji.html 
 http://www.don.am/~shigeru/rokudoumairi.htm
金剛山寺(こんごうせんじ、通称矢田寺)。

  満米上人が地蔵菩薩と話をする部分は「本朝神社考」にはありません。 「矢田地蔵縁起」になると地蔵菩薩の部分が加わっているようです。 閻魔様と地蔵菩薩信仰を考える上での参考になるのではないでしょうか。
 また金剛山寺は地蔵菩薩発祥の地とされていますが、 文献上、地蔵菩薩像は天平十九年(747)光明皇后御願で東大寺講堂に安置されていて、 これが日本で一番最初のものと思われます。 (「東大寺要録」によると天平十九年二月十五日。)