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お盆と閻魔様のお話。
  無間の鐘
    目蓮尊者のお母さんの落ちた所は餓鬼道で、正確には地獄ではありません。 では地獄はどんなものなのでしょうか?
  インドの神話的な観念には、最初地獄の概念はなく、 「リグ・ウ"ェーダ」上で伝えられているいるように "死者の住処は天である"と、 簡単明瞭なものでした。 人間は死ぬと、魂が肉体を離れ、父祖の通った道をたどり、 永遠の光のある場所におもむき、神々と同じ光明を授けられると 信じられていました。
  それが次の「アタルウ"ァ・ウ"ェーダ」では、 天国「スウ"ァルガ」とそれに対比されるように「ナラカ世界」(奈落)と 呼ばれるものが出現します。 「ナラカ世界」は、死者のおもむくところではなく、女性の悪魔と魔術師の住処で、 殺人者の住処ともされました。 このナラカ世界は暗く、光をさえぎられた一番下の世界であるとされています。
  この「アタルウ"ァ・ウ"ェーダ」以後、後期の「ウ"ェーダ」、「マハーバーラタ」、 「マヌ法典」などでは地獄は多種多様な発展していきます。
  「ヴェ−タ」上の閻魔様であるヤマ(Yama)は最初の人間とされ、 最初に死んだ人間として死者の王となり、最高天にある楽園を支配していました。 このヤマも、天国と地獄の観念の発達により、変化していきます。
  ヤマは死をつかさどっており、人が死ぬ時にはヤマの命を受けた死の使いが やって来て、死を人に告げるのです。 そしてヤマは真理に忠実なものと、偽りを語るものとを厳密に区別します。 この行為はのちに、彼の世界(楽園、または冥界)に到着したものの善悪の行為をはかる、 「死後審判」という考えに変わっていったようです。
  ヤマの概念は、インダス文明以降、交流の盛んだったチグリス・ユーフラテス流域での、 地獄の信仰に影響を与え、また影響されながら、 ギリシャ人、インド人双方の神話・伝説・信仰に大きな影響を残しました。 こうして、地獄の概念が生まれ、ヤマの性格も確立していきました。 ヤマは父祖の王であり、餓鬼(プレータ)の王であり、「法の王」として、 死者を裁くものとなりました。
 
  この時期に現在の地獄の概念はでき上がっています。  死んだ人間はすべてヤマの王宮にいき、裁断を受けなければなりません。
  亡者はヤマの使者にひきづられヤマの国へと連れていかれます。 その道は恐ろしく、途中には木陰をつくる樹木もありません。 飲み水も無ければ休む場所もありません。 しかし生前に物惜しみせず、また苦行をしたものには救いがあります。 生前、灯火を与えたものには灯が道を照らし、 断食を行ったものには乳酪(にゅうらく)が与えられます。 三途の川に当たる、プシュポーダカーという川は、 悪行の人には膿汁となり、生前人に水を与えた人には甘美な水となります。
  ヤマの国は南方の地の果てにあり暗黒につつまれています。 「マハーバーラタ」によると、地獄は水気の多い所で、湖とも泥土の洞窟ともされ、 最下の世界にあるとされています。 死者はマヤに審判を受けた後、その行いにより、「地獄の責め苦」を受けます。
  地獄では棍棒や槍・火の壺をもった獄卒が罪人を責め苦しめ、 虫が罪人達をかじり、犬が彼らを喰い、そして血の川ヴァイタラニーにほうり込まれます。 そして、熱砂で焼かれ、剣の葉を持つ樹木に身を切られ、かみそりの刃に身を削られ、 イバラの木に傷つき、水を求めても得られず、飢渇に苦しまなければなりません。 「ソーマ酒」を売るものは、三百年間「叫喚(ラウラヴァ)地獄」に落ち、 再び生まれ変わる時は虫などになり、 また殺人者は彼の流した血のしたたりの数の年数だけ地獄にとどまり、 姦通の罪を犯したものは、身体の毛穴の数だけ年数、地獄にとどまるとされています。

  無間の鐘。
 

 島前棚(とうぜんだな)という所に松蔵とたねという夫婦が住んでいました。
 畑を持たない百姓で、夫婦そろって朝から晩まで働いても満足に食べる事も出来ませんでした。男の子と女の子、そして赤ん坊の、三人の子供はいつもお腹をすかせていました。

 三つになる娘は、いつのまにかむしろをかじって、口を、もぐもぐさせていました。上の兄はそんな妹をつれて野草や木の実を取りに行きました。そうやって飢えをしのいでいたのです。

 しかし、満足に食べられない、たねは乳が出ませんでした。昨年生まれた赤ん坊は次第に痩せ細って行きました。米があれば重湯を作れるのですが、そんなお米はありませんでした。赤ん坊はか細い声で、ほぎゃあ、ほぎゃあと泣きました。かわいそうに思ったのか、三つの姉はお地蔵さんに供えてあるまんじゅうを取ってきて、自分は食べずに赤ん坊に食べさせました。

 赤ちゃんは、お腹をこわして死んでしまいました。

 赤ちゃんは産まれた時とほどんど同じ大きさでした。口のまわりには腐ったアンがこびりついていました。椎ノ木の根元に埋め、石をおいて目印としました。

 明かりひとつない暗い小屋で、松蔵とたねはすわっていました。
「・・・あんた、無限の鐘をついてきてくれんかな。」
そうポツリとたねが言いました。松蔵は、ささくれたむしろをみつめたままでした。

「無限の鐘」は佐夜の中山という所の西宝寺にある鐘でした。その鐘をつくと運がむく、と言われていましたが、それは命と引き換えともされていました。生きている者でこの鐘の音を聞いた者はありませんでした。つくことの禁じられている鐘でした。

 松蔵はささくれたむしろを引きちぎると口に入れました。牛のようにかみました。かんでもかんでも、それは口の中でぼそぼそするだけでした。松蔵は黙って立ち上がると、家を後にしました。

 

 西宝寺は山をいくつも越えた所にありました。
 田んぼの中にぽつんと大きな岩が突き刺さったような山があり、その上にお寺が乗っかっていました。「無限の鐘」は、そのお寺の一番奥にありました。撞木は鉄の鎖で縛られ、そこには「おらが、しにがらは、やらん。」と書かれていました。

 松蔵は和尚さんの前に出ると、頭をこすりつけて鐘をつかせてくれと頼みました。和尚は困ってしまいました。あの鐘はもう何代もまえから鉄の鎖で縛られたまま、ほうってあるものでした。うわさのように運が向くともそれが命と引き換えであるとも言われていましたが、寺にはそのような事は何も伝えられていなかったのです。
 和尚は長い間考えた後、松蔵に言いました。「命をかけるつもりなら、ついてみよ。ただわしが許したわけではないぞ。」松蔵は和尚さんになんども頭を下げ、鐘つき堂へ行きました。

 松蔵は撞木を縛りつけてある鎖をほどきました。松蔵は鎖を握り息を大きく吸うと思いっきり撞木の振りました。しかし無限の鐘は何の音も出さず、地面と空気とが大きく揺れ、夜の闇が得体のしれない暗黒に変わりました。
 鐘をつるしてある鐘つき堂の屋根の暗闇の中から、赤いものが降りてきました。そして無限の鐘に取りついたまま松蔵を見つめました。それは頭に角のある赤鬼でした。
「望みはなんじゃ?」
「子供が一生食うに困らぬものが欲しい!」
「命をかけるか?」
松蔵は大きくうなづきました。
赤鬼はニッと笑い、「しにがらはどうする?」を聞き返してきました。
松蔵は、「運がむくなら何でもやる。」と答えました。

すると、あたりをつつんでいた暗やみがサァーっと引いて、無限の鐘がゴオォォォーンとなりました。その音は夜を震わせ、どこまでへも響きわたって行きました。

 それから、松蔵の運は驚くばかりにむきました。
 何をやってもうまく行きました。山から取って来たなんのへんてつもない椎の実が薬となって売れました。そのお金ではじめた小間物の店は、いつの間にか大きな問屋となりました。田んぼを買い取り、多くの小作人を雇いました。秋には米俵が屋根の上まで積み上げられました。

 願いが叶いました。
 松蔵は、積み上げられた米俵を見上げました。
 もう子供が飢える事はありませんでした。

 松蔵とたねは千の饅頭を赤ん坊の墓に供えました。そして次の日、松蔵はワラのむしろを握ったまま、縁側に座ったまま息絶えていました。

 松蔵は白い死装束を着せてもらいお棺に納められました。たねは松蔵のために、お坊さんを七人招きました。

 「ごめん。」
 葬儀の始まる前に一人のお坊さんが尋ねてきました。そのお坊さんは、松蔵の亡骸を拝むと、たねに「松蔵さんは鐘をついた時、"おらがしにがらはやらん。"と言われたかの?」と聞きました。「いいえ、何も聞いておりません。」たねはそう答えました。「・・・そうか、わからぬか。」和尚さんは、しばらく黙ったあと、自分も葬儀にいさせて欲しいと言いました。お坊さんは西宝寺の和尚さんでした。松蔵が亡くなったと聞いて尋ねて来られたのです。
 たねは、あの無限の鐘をつかせていただいた和尚さんを一番前の席に招きました。

 葬式の読経が始まりました。
 すると、どこからか突風が吹き込んで蝋燭の明かりをふき消しました。たねも店の者も驚いてあたりを見回しました。すると外はいつの間にか黒い霧が渦巻き、風がゴウゴウと音を立てていました。

西宝寺の和尚さんは、お経をやめて、みんなを座敷の真ん中に集めました。
「よいか? 何が起こっても一心に弥陀念仏を唱えなさい。」
そう言って他の和尚さんとお経を唱えはじめなした。

風が雨に変わり、バンと戸板を吹き飛ばしました。そしてそこには馬の顔をした鬼と牛の顔をした鬼が立っていました。
「命はもらった、しにがらもいただこう。」
二人の鬼は動物が唸るように言いました。
たねも子供たちもお棺にしがみつきました。父の遺体を取られまいとしたのです。

しかし天上から赤い手がすーっと延びて、お棺の蓋をはじき飛ばしました。和尚が驚いて見上げると、天井には赤い鬼がしがみついていました。
「もらいうけた。」
そういうと、赤鬼のまわりから黒い霧が沸き上がり、お棺もろとも松蔵を巻き上げました。天井はいつの間にか深い闇となり、赤鬼は松蔵の体をお棺から引き出すと、その中に消えて行きました。

バタンと、空のお棺が落ちて壊れました。
黒い霧は消えて、そしてひらひらと白いかたびらの切れ端が落ちてきました。

 そののち、たねは西宝寺に松蔵が残した田んぼから取れたお米を寄進し続けました。西宝寺の無限の鐘は地面に降ろされ、二度と誰もつけないよう、ふせられているとの事です。

     「無限の鐘。」 2008/01/06改稿。


   
    古代インドでは、土葬、風葬、水葬、火葬などインド諸民族の間にさまざまな葬儀が 行われていました。 インドーアーリア人は火葬が代表的な葬送法であったため、 次第にインド亜大陸で一般的なものとなりました。
  人が死ぬとその魂は火葬の煙と一緒に天に昇り、月に入ります。 その後雨となって地上に降って地面の中に入り、地面の中の霊は食物の根によって 吸い上げられ、その植物を食べた男の精子となり、女性の体内に入って生まれてくる、 または霊は太陽から、風、水、地の順序で植物の中に入ると考えられていました。
  この考えを五火説と言います。
  また死者の霊のたどる道は、 真理を正しく知る者は火葬の煙からさまざまな道を通り、太陽・月・雷光に入り、 ブラフマン(梵)という最高の場所にいたり、二度と現世に戻る事はありません。 これを「神の道」と言います。
  そして通常の人の霊は、天に昇りますが雨と一緒に地上に降り、五火説と同じように、 再び生を受けます。これを「祖霊の道」と言い、二道説と呼びます。 五火説と二道説を合わせ、五火二道説と言い、 これが後の輪廻・業報説の原形となり、仏教の六道へとつながっていきます。
  同じ地獄でも、キリスト教の地獄「煉獄」は落ちると永遠の苦しみが待ち受けていますが、 ヤマの地獄はその人の業が尽きると、その人は地獄から解き放たれるとされています。
  ヤマの地獄の特徴は、その人の業を消滅させる、点にあるようです。
  ◆補記
   この昔話は「無間の鐘をつくとお金持ちになるが、死後無間地獄に落ちる。」という不思議な鐘のお話です。

 そして、また「無限の鐘」という名前の鐘が存在します。
 日本には霊魂の集まる場所=諸仏が集まる場所とされ、そこは霊場となりました。比叡山、高野山も、もともとは死者の霊の集まる場所だったのです。
 和歌山県熊野妙法山も霊魂の集まる場所とされ、女人結界をしなかった事から、女人高野と呼ばれるようになりました。そしてすべての霊魂は熊野に行き、妙法山に参り、和歌山県那智勝浦町の阿弥陀寺の前にある「無限の鐘」を打つとされています。
 日本の霊魂はいったん霊場に集まり、魂を浄化した後天に昇っていくと考えられていました。これは日本古来の禊(みそぎ)による魂の浄化を意味していて仏教の考え方ではありません。
「無限の鐘」をつく、という行為も、本来は何らかの魂の浄化儀礼のようです。

 この「無限の鐘」、実際にあるものと昔話などは無限、
 遠州七不思議、そしてそれに題材を取ったものを、「無間の鐘」としています。

 遠州七不思議の一つ、無間の鐘伝説は、東海道五十三次の途中にある小夜の中山(現在の静岡県掛川市東山、粟ヶ岳)にあった伝説で、

 「聖武天皇の天平の頃(729?748年)の頃、小夜の中山の東、菊川村にあった一人の仙人が村の人々からお布施をあつめて、淡ヶ嶽(粟ヶ岳)の頂上に大きな釣鐘をつるしました。
この釣鐘の音は、広く遠州に響きわたり、評判になりましたが、誰が言いだしたのか、

 一つつけば、事故や災難をまぬがれ、
 二つつけば、病気にならず、
 三つつけば、家内安全、
 四つつけば、運が開けて出世する、
 五つつけば、子宝に恵まれ、
 六つつけば、幸運がつづき、
 七つつけば、大金持ちになる、

などというご利益が伝えられ、村人たちは、われさきにとこの寺へおしよせました。
ところが、鐘をつこうとして、死ぬ人がたくさん出たため、
鐘を井戸の底深く投げ込んで二度とつつけなくしてしまいました。
その後、この井戸を『無間の井戸』といい、今も粟ヶ岳の頂上に残っています。」
と言うものです。

 この伝説が、「無間(むけん)の鐘』と呼ばれる鐘を撞(つ)くと、大金を得るが、死後では無間地獄におち、地獄での食物が全て蛭(ヒル)に変わる」というものに変化したようです。

 この伝説に依ったものは、1728年2月、京都の市山助五郎座「傾城満蔵鑑」、小泉八雲「怪談」の中の一遍、「鏡と鐘」。また絵画では、鈴木春信「見立無間の鐘」となっており、鐘をついても無間地獄に落ちなかった「梅ヶ枝」を描いています。

 なぜ鐘をついても地獄に落ちなかったのか?は小泉八雲を読んでくださいね。


◇ インダス文明への招待
  http://pubweb.cc.u-tokai.ac.jp/indus/index.html