お話歳時記 お話を見て書いて創るサイト お話歳時記
お話歳時記創作情報デジタルコンテンツメルマガwww.pleasuremind.jp TOP
お盆と閻魔様のお話。
  地獄の四人
    お盆と閻魔様のお話です。
  お盆は盂蘭盆(うらぼん)、 梵語で「ウランバーナ」という言葉を盂蘭盆と漢字を当てたもので、  ウランバーナは「倒懸(さかさづり)」につるされた苦しみ、 その苦しみから救う、という意味だそうです。
  お釈迦様の十大弟子の目蓮尊者(もくれんそんじゃ)が、 ある時、目蓮尊者が神通力をもって亡き母の恩に報いたいとあの世を透視すると、母は餓鬼道におちていました。   目蓮は驚き、神通力をもって、母を救おうとしましたができませんでした。
  
  目蓮はお釈迦さまに母を救う教えを乞うたところ、「目蓮一人の力では、どうすることもできまい。 お前のお母さんはお前にはやさしい、いいお母さんだった。 しかし、我が子可愛さの余り、知らずに重ねてしまった貪欲の報いで 餓鬼道に落ちて苦しみ続けているのだ。七月十五日には厳しい九十日間の修業をすませ僧達が帰ってくる。 そのお坊さんたちに百味の飲食(おんじき)を供えて供養しなさい。 修行僧たちは、喜んで回向してくれるであろう。 その功徳で、餓鬼道で苦しむ者も含めて、母を救うことが出来るだろう」と、お釈迦様はお答えになりました。
  目蓮は、その言葉通りにして見ました。 すると、不思議にもその功徳によって餓鬼道の苦しみから救われ、 目蓮のお母さんが餓鬼道から抜け出し昇天していきました。
  その姿を見て、目蓮も修行僧も回りの人も、 うれしさのあまり我を忘れておどり回って喜んだそうです。
  これが中国で成立した「盂蘭盆経」に書かれてあるお話です。
  
  日本には推古天皇十四年(606)飛鳥の法興寺で行われたのが最初で、 聖武天皇天平五年(733)から宮中の仏事になりました。
  しかし日本のお盆の行事には、仏教と関係のない要素もあります。
  これは昔からあった祖霊祭の名残りと言われています。 日本では古来から、初秋に魂祭(先祖の霊を迎える祭り)が、 行われていましたが、これと結びついて祖先霊を供養する仏事となり、 広く一般に普及していったのは、近世になってからのようです。
    お盆の期日は、
  室町時代は十四日から十六日、
  江戸時代は十三日から十六日、
  近年に入って十三日から十五日になったそうです。
  盆にはそうめん、うり、なす、すいか、ほうずき、なし、ぶどう等を お供えします。 十三日には迎え団子というアンのついた団子を、 また、うりやなすで作った牛馬を飾りこれに精霊を乗せて迎えます。 十三日には、先祖代々のお墓に参り、 夕方、門口で「迎え火」といって苧殻(おがら)を焚き、精霊を迎え入れます。 十四日、十五日には僧侶に来ていただいて、お経(棚経)をあげていただきます。 十五日には送り団子という白い団子をお供えします。 夜には「送り火」を焚いて精霊を送ります。
  さて、目蓮尊者のお母さんは餓鬼道に落ちて苦しみましたが、 中にはこんなツワモノもいます。
  地獄の四人。
    鍛冶屋の七助は、長い間、癪に苦しんで来ましたが、 ある日とうとう亡くなってしまいました。
  七助は、気がつくと白い着物を着て道の真ん中に立っていました。 ボヤンとした道がどこまでも続いていました。 後には今来たはずの道があるはずでしたが、どこにもありませんでした。
  「ああ、これが冥土に続く道か。 おれは地獄に行くか極楽に行くか、  閻魔様にあって、裁きを受けるんだな。」 七助はそう思いながら、てくてく歩いていきました。
  「おお〜い、そこの人、待ってくれ。」 七助が振り返ると、やはり七助と同じように白い服を着た若い男が、 走って来ました。
  男の名前はトンボの佐吉、軽業師でした。綱の上でトンボを切り、その上で傘を回して、コマを回していたと、 ひとなつこそうな笑顔で話しました。
「俺は赤痢にかかり、ぽっくり死んでしったが、  死んだら苦しいのが無くなって体が軽くなり、 前にもまして元気になった。」と、 佐吉はカラカラ笑いながら話しました。 七助は、そう言われてはじめて、体が軽くなって気持ちがいいのに気がつきました。 これなら死ぬのも悪くない事だと、 七助達が、話ながら歩いていると、前のほうにも二人、 白い着物を着た男が歩いていました。
  二人は男達に追いついて、話しを聞きました。 一人は医者の玄斉、卒中でなくなり、 もう一人は祈祷師の法眼で痰を咽に詰まらせ死んだと言いました。 四人はすぐに仲よくなり、 それぞれ生きている間の事を話しながら、 軽く冥土に向かって歩いて行きました。
  四人は三途の川を渡り、閻魔様のいる閻魔王庁へとやってきました。
  王朝はまわりを高い塀で囲まれ、 その塀はどこまで空にのびているのか、わかりませんでした。 四人がポカ〜ンと塀を見上げていると、 一つ目の鬼が出て来て、首をグニョンとまげながら四人を見ると、 「次はお前達の番だ、閻魔大王の御前で申し開きをするんだぞ。」と、吠えるように言いました。
  
  四人はお互いに顔を見合わせ、一つ目鬼の後に、おとなしくついていきました。 七助は、「おっかねぇ、鬼さんだな。」と首をすくめて舌を出しました。 トンボの佐吉も「そだな。」と、舌を出してまねました。 医者の玄斉も、祈祷師の法眼も舌を出してべ〜と首をふりました。 「大王様の前でそんな格好をしたら舌を抜かれるぞ。」 一つ目鬼が、ぼそりと言いました。 見ると頭の後で目がひとつ、ぎょろりとにらんでいました。   四人は頭をかきながら、おとなしく鬼の後をついて行きました。
  四人は閻魔様の前に引き出されました。 閻魔様は丁度、人の二倍ほどの大きさで、 天子様のような、雛飾りの男雛のような、 カンムリとかみしもをつけ、台座の上に座っていました。 後には鏡をもった鬼と、机を前に筆を持った書記の鬼がすわり、 閻魔様の前には秤がひとつ置いてありました。
「あれはなんじゃろうの?」 七助は三人に聞きました。
「よう、わからんがはかりのようじゃ。」
「わしらの目方でも量るのかのう。」
「わしは死ぬ前、二十貫じゃった。」
トンボの佐吉も玄斉も法眼も秤の事が気になるようでした。
閻魔様は書記から巻物を三つ渡されると、白い巻物をひとつを開きました。
「鍛冶屋七助は誰か?」
七助は閻魔様に呼ばれ、驚いて返事をしました。
「はい、私でございます。」
七助は閻魔様の前に出ました。
閻魔様は巻物を見て、 「お前は生きている時、どう生きていたのかの?」 と、お聞きになりました。
七助は、「はい、私は生きている間、いろんな刃物やクワやを作り、 鍋の修繕などをして、村のためにつくして参りました。」 と、答えました。
「うむ、そうか、お前の言っている事が本当かどうか、すぐにわかる。」
閻魔様は残った青と赤の巻物をひとつずつ秤に載せました。 天秤は赤い巻物の方にかたむきました。
「どうやら、罪の方が多いようじゃの。」
後の鬼が鏡を七助をうつすと、 鏡の中に生きている時にした悪い事が次々に映し出されました。 七助はポカ〜ンと口を開けたままでした。
これはいかんとトンボの佐吉も、医者の玄斉も、祈祷師の方眼も、「自分は生きている時、大勢の人を楽しませました。」「わたくしも虫歯で困っている大勢の人を助けました。」 「拙者も医者では治らぬ困り事をかかえた人を、神通力をもって助けました。」 と、自分がしてきた事を言いましたが、 閻魔様の天秤は罪が重い方に傾き、鏡には生前の悪い事が次々に映し出され、 結局、四人とも地獄に行く事になりました。
  四人が連れていかれたのは、針の山でした。 そこはあたり一面地面に剣が木や草のように生えている所でした。 死んでいるとはいえ、足が切れて歩くに歩けません。 四人は大変な所に連れて来られたと思いました。
「こんな剣などわしにかかれば何でもないぞ。」
七助はそう言うと剣を鎚でガツンと折ると、 それで鉄の下駄を作りました。 四人は四人とも鉄下駄を履くと鎚でガツン、ガツン、剣を折りながら 山を登り、見る間に剣の山は台なしにしてしまいました。
針山の監視をしていた鬼は驚き、閻魔様に報告しました。
「うむ、それでは鍛冶屋がなんとも出来ぬよう、 熱湯地獄に入れてしまえ。」
四人は閻魔様の命令通り、熱湯地獄に連れていかれました。 あたりは一面の岩で、地面の底からブクブクと熱い泥や硫黄が沸いて、 熱いお湯が湯気をもうもうと渦巻いていました。
祈祷師の法眼は首をぽきっとならすと、 「今度はわしがなんとかしよう。」と言うと祈祷を初め、 熱い湯を丁度いい加減のお湯にしてしまいました。四人はお湯に入り、背中をすりあい、 医者の玄斉の言う通りに、体を泥にうずめて体から毒を出しました。
「ああ、ええ気持ちじゃ、生き返ったような感じじゃ。」 法眼がそう言うと、「うむ、この先死ぬ事はないでの、ゆっくり体を休めようぞ。」と玄斉は大笑いしました。
  四人が熱湯地獄を湯治場に変えてしまったので、 監視役の鬼はまた閻魔様に報告する事になりました。
   魔様は地獄で一番大きな鬼、山鬼を連れてきました。山鬼の顔は家のように大きく、口は一間、臼のように大きな歯が並んでいました。 閻魔様は四人をすぐにお召しになり、山鬼の口の中にほうり込んで おしまいになりました。山鬼は七助達をかみ砕こうとしましたが。 七助達は鎚を取りだし、鬼の歯をガツンガツンと折ってしまいました。 鬼は驚いて四人をそのまま飲み込んでしまいました。
    山鬼の腹の中は真っ暗でした。
  祈祷師の法眼は提灯を出すと、
  「やれやれ、口の中にほうり込まれた時はどうなるかと、
   冷や汗をかいたぞ。」
  と、明かりを灯しました。
  「七助さんの鎚のおかげで、またケガせずにすんだ。」
  トンボの佐吉がおどけて鎚をふりました。
  「その通りじゃ。」
  四人は顔を見合わせて笑いました。 
  「さてと、ここから抜け出す算段をしようかの、
   佐吉さん、手伝ってくれるかい?」
  医者の玄斉は胃袋を提灯で照らしながら、
  佐吉に言いました。
  「何をすればいいんだい? 玄斉さん。」
  「あそこにのぼって、くすぐってくれないか?」
  「おやすいご用だ。」
  佐吉は胃の壁をするするっと登ると玄斉の言った所をくすぐりました。
  すると四人のいる胃がぐらぐら揺れました。
  「ははははは、やっぱりの。
   佐吉さん、鬼が泣いて謝るまでくすぐってやりなさい。」
  玄斉は面白そうに言いました。
  すると七助も法眼も「俺達にもやらせてくれ。」と玄斉に頼みました。
  玄斉は「ではみんなでくすぐってやろうかの。」と、
  あたりかまわずくすぐり始めました。
  山鬼はお腹を抱えて、ゲラゲラ笑い、オイオイ泣き、
  急に怒ってあたりのものを壊したかと思うと、
  転がり廻って泣きました。
  山ほどもある山鬼が転がり廻るのですから
  閻魔様もまわりの鬼も、たまりません。
  建物はこわれ、地獄がぐらぐら揺れて、
  大勢の鬼が山鬼の下敷きになってしまいました。
  そしてついに閻魔様をつかむと、
  「大王様、あの四人をどうにかしてください。」と、
  飲み込んでしまいました。
  四人は胃袋をくすぐっていましたが、
  胃の中に閻魔様が飛び込んできたので、びっくりして聞きました。
  「こりゃあ、閻魔様、こんな所にご用ですか?」
  閻魔様は苦虫を噛み潰したようにいいました。
  「うむ、書類に誤りがあっての、お前達は間違って死んだようじゃ。
   ここを出て、生き返ってくれんかの?」
  「へい、お安いご用です。」
  四人はそう答えると、胃の中を思いっきりどかんと踏みました。
  すると山鬼は四人も閻魔様も吐き出してしまいました。
  こうして、四人は生き返り、葬式がお祝いの席になってしまいました。
  地獄では今でも閻魔様が、 もう一度あの四人が死んだらと頭を抱え込んで、 よわっていると言う事です。
  
                   「地獄の四人」
   
    このお話は「閻魔の失敗」「軽業小僧と医者と山伏」という題の昔話で、 三人のものもあります。 この話の続きは、たぶん極楽へ行って生き返ってくる話だと思うんですが、 見つかりませんでした(笑)。
  ◆補記
  盂蘭盆会
 夏安居(げあんご、雨期を避けて洞窟や僧院にこもり静かに道心を修養する事)のつとめを 終えた僧尼を供養しその功徳によって三悪趣に沈んだ死者が受けている苦を取り除き、 救う事を願う仏教行事。 夏安居(げあんご)は現在でも行われていて、お坊さんが集まって修業されているようです。
お盆の由来。
 一般にお盆は盂蘭盆会の略とされていますが、他に供物を供える容器を 日本の古語で「ボン」といった事から盆になった、という説もあります。
盆踊りの起源。
  「目蓮や修行僧がうれしさのあまり踊り回って喜んだ。」と、するものもありますが、 盆踊りは本来精霊を迎えて慰め、送りだす目的のものであったと考えられています。
◇癪(しゃく) 胸や腹のあたりに起こる激痛の総称。 さしこみ。