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六月-海と水辺の物語。
 
  蛤の草紙。
    日本の「たにし長者」、中国の「呉堪(ごかん)」は、魚介類との異類結婚譚(神婚説話)に分類されていています。 そしてもう一つ、これに近いものに「お伽草子」の「蛤の草紙」があります。
  「蛤の草紙。」
 

  天竺、摩訶陀国(まかだこく)に、しじらという人がいました。
  貧しい人で、父と早く離れ、母親が一人いましたが、その頃の天竺は、ひどい飢饉で多くの人が亡くなっていました。

  しじらは母を養おうと、いろいろな仕事をして、天を拝み地にふして仕事に励みましたが、その日の食べ物を得る事も出来ませんでした。困り果てたしじらは、ふと思いつき、海へ出て釣りをしました。魚をたくさん釣り上げたしじらは、それで母を養う事が出来るようになりました。    

  ある日しじらはいつものように魚を釣りに沖にでましたが、その日は日が暮れる頃になっても一匹もつれませんでした。しじらは、母が自分の帰りを待っているのではないか?遅くなって心配していないだろうか? このまま魚が釣れなかったら、どうしたものだろうか? そんな事を考え頭がいっぱいでした。やる方なく、しじらが釣り竿をあげると、そこには綺麗な蛤がかかっていました。

  蛤は食べられるほどの大きさでも無く、しじらは海に戻しました。西の方へ船を移して、そこでまた釣りを始めました。すると、さっき海に帰したはずの蛤をまた釣り上げてしまいました。しじらはいぶかしく思いながら、再び蛤を海に戻し、北の方へ船を移し、釣りを始めました。 するとまた同じ蛤を釣り上げたのです。

  三度まで釣り上げてしまった蛤を見て、しじらは不思議に思いました。すると、蛤は突然大きくなり、光が中からほとばしったのです。しじらが驚いて、あとすざりすると、蛤は二つに割れ、中から美しい十七、八の娘が現れました。

しじらはうろたえ、ひしゃくを持ち震えながら、言いました。
「あんた様は、竜宮から来たお姫様かなんかかえ?こんな貧乏人の船に乗せてしもうて、恐れ多い事をしてしもうた。どうかお帰りになってくだせ。」
すると娘は、
「私はどこから来たのか、わかりません。この先どうしていいのかもわかりません。どうかあなたのところに連れて行って、一緒になって下さい。」と、答えました。
しじらはもっと驚き、
「俺は四十を過ぎた男で、いまだに嫁ももらえねぇ。それに、うちには六十をすぎたおっかさんがおる。一緒になるなんて、とんでもねぇ。」と、答えました。
 娘はそれを聞くと、急に黙り込んで、泣きだしてしまいました。しじらは困り果て、船を陸に寄せました。 そして娘を降ろすと、「娘さん、俺はあんた様を陸まで運んだ。 これでお別れだ。」と、言いました。
娘はしじらの袖をつかみ、頼みました。「せめて、あなたの家に連れて行って下さい。夜が明けたらどこかへ行きます。」

  しじらはこんなところへ娘を一人でおいて行くわけにも行かず、家に連れ帰る事にしました。娘は踊るように喜びます。しじらは娘が素足である事に気がつきました。娘を背負い、しじらは夜道を家に歩いて帰りました。

  しじらが娘を連れて帰ると、しじらの母は驚き、天人とは娘のようなものを言うのかと、家を整えて迎えました。
母は娘にそっと話しました。
「恐れ多い事ですけれど、あなた様はしじらが妻となる人ではありますまいか? あの子は四十を過ぎてもまだ独り身で、それが気掛かりでならんのです。ほんとうに、ほんとに似合いの夫婦になるでしょうに。」
「お母様、私はどこから来たのか、これからどこへ行けばいいのかもわかりません。 どうかしじらと一緒にここに置いて下さい。二人でこれから先暮らさせてください。」娘は母にそう懇願しました。
しじらが娘の申し出を断った事を知った母は、しじらを呼び、夫婦となって暮らして行くよう言いました。しじらも母の言う事で、もう断る事も出来ず、うなずきました。

  しじらの家に天人が嫁いできた事は、あっという間に広まり、お坊さんをはじめ、いろんな人が"くましね"という神仏に供えるお米をもって、しじらのもとにやってきました。お米は一日で三石六斗となり、もう食べ物に困る事は無くなりました。

  娘は、やってきた人に苧(お、麻、またはそれから作った糸)があれば、いただけませんか?と話すとその次の日に苧が山のように積まれました。しじらは娘に紡錘(つむ、糸をつむぎながら縒りをかけて巻き取る円錐の棒のような道具)が欲しいと言われ、あちこち探して求めてきました。
娘は錘で苧をつむぎ、糸を撚りはじめました。娘の糸を紡ぐ音は、ころころ、しゅるしゅる、琴の音、笛の音のように、じじらの家にあふれました。
    
  娘は二十五日をかけて糸をつむぎ終えると、今度はしじらに機織り機を作って欲しいと頼みました。しじらが機織り機を作ろうとすると、娘は、普通のものではなく特別なものだと、見本を描いてみせました。 しじらは苦労して見本どおりのものを作りました。でき上がった機織り機はしじらの家には大きく、機織りの家を造る事になりました。家ができ上がるまで、三人は機織り機のそばに寄り添うよう眠りました。

  しじらが夜中に物思いに沈んでいると、娘はおきてしじらをみつめました。「どうしたのですか?」
しじらは、母を見て言いました。
「お前のおかげで、食うには困らなくなったし、安心させる事も出来た。でもなぁ、おらが幼い頃、母はすこし太った、ふくよかな人だったのに、今はこんなに痩せてしまった。それがなんだか、つらいんだ。」
娘はそれを聞くと、そっとはなしはじめました。
「南から渡ってきた鳥は故郷を思い、南に巣をかけます。巣から四方へ旅立つとお互い二度とあう事もかなわない事もありますが、親を思う鳥は、生まれた木の枝に百日間、飛んできて羽を休めます。母鳥はそんな我が子を見て喜ぶんですよ。あなたは、ずっとお母様のそばにいたではありませんか。」
しじらはそばに眠る母を見ました。
それから、娘と作り上げた機織り機のそばで眠りました。

  機織りの部屋が出来あがり、機織り機を運び込みました。するとどこからか、娘と同じような年ごろの女がやって来て機織り小屋に入りした。
娘はしじらに、
「これから機織りをしますから、けっして見ない事、 機織りの部屋に誰も近づけないでくださいね。」と告げると部屋に入って行きました。
しばらくすると機織りの音が聞こえてきました。娘が糸を紡いだ時と同じように機織りの音が音楽のように聞こえてきました。その音は夜も昼も続き、十二日間に及びました。
娘は機織り部屋かだ出てくると、
「今、できあがりましたのよ。」と 織り上がった布をしじらに見せました。その布はなんの変哲のない布でしたが、大きな碁盤のように、大変な大きさの布が綺麗にたたんでありました。
娘はしじらに、
「明日この布を持って鹿野苑の市で売ってきて下さい。この布はなんの変哲もありませんが、見る人が見ればわかりまよ。」と、言いました。

  しじらは布を持って鹿野苑に行きました。鹿野苑の市では大勢の人がいました。 しじらの持ってきた布を見る人もいましたが、誰もその布を買おうとする人はいませんでした。

  日も暮れ、しじらが帰ろうとすると、お供をたくさん連れ、馬に乗った六十位の白い髭をはやした老人がしじらに声をかけて来ました。「君はどこから来たものか?」しじらが答えると老人は布を見せて欲しいと言いました。しじらが老人に布を見せると、老人は、「近頃、珍しい布じゃ、私に金三千貫で譲ってくれぬか?」しじらは老人にその布を譲りました。すると老人はしじらを自分の屋敷に招きました。

  老人の家は屋敷が幾重にも続く立派なお屋敷でした。老人はしじらを招き入れるとしじらに酒を勧めました。「これは七徳保寿の酒、飲んでみなさい。」しじらが飲むと、そのお酒は言葉に尽くせないおいしいお酒で。老人はしじらに七杯飲ませました。

  お酒を飲み終わると、三人の大男が三千貫のお金を運んできました。しじらが、老人にお礼を言い帰ろうとすると、老人はしじらに今飲んだお酒の事を話しました。
「今飲んだお酒は、一杯飲めば千年の齢(よわい)を得るもの。 あなたは七杯飲み干したから、七千年の寿命を得ております。これより先は衣服を着ずとも寒くなる事無し、ものを食べなくとも飢える事も欲しいと思う事もありません。」
そう、老人が言い終えると、五色の光が差し、老人も、三人の大男も、幾重にも続くお屋敷も、跡形無く消え、しじらはいつの間にか自分の家に帰っていまいました。

  しじらが振り向くと娘が立っていました。しじらが今での出来事を娘に話そうとすると、娘はしじらが話す前に、反対に話しはじめました。しじらは、娘が老人と同じ神通をさとるもの、と気がつきました。
「あなたは七千年の寿命を得たのですね、では私はおいとまいたしましょう。」娘の言葉に、しじらの母は驚き、止めました。娘は言葉を続けました。
「こんなに長くここにとどまったのは、あなたの親孝行の思いに報いるためです。私は天界より今生と来世の加護をもたらすために遣わされたもの。これより先もお母様と心安くお過ごしください。」
娘はしじらの家を出て二人に別れを言いました。空からは光が差し、花が降り注ぎはじめると、娘の体は浮き上がり天上へと上りはじめました。
しじらが空を見上げると、娘は名残惜しそうに何度も振り返り、そして、消えて行きました。

  その後、しじらは母と安楽に暮らし、その生涯を終えました。そして娘と同じように空に昇って行ったと言う事です。
           「蛤の草紙。」

   
    「蛤の草紙」は御伽草子の中の一つとして今に伝わっています。別名を「蛤機織姫(はまぐりはたおりひめ)」、舞台はインド、しじらが布を売りに行った鹿野苑は釈迦が最初に説法を行った所で、娘は観音菩薩の使い、老人はたぶん観音菩薩、お屋敷は観音浄土、と仏教的、観音信仰にもとづいた脚色がなされています。
  もとのお話に近いものは、中国「捜神記」中の「董永(とうえい)」のお話とされ、日本では「お伽草子」の「二十四孝」中の一つとして、伝わっています。

  「薫永。」
    董永は幼い頃に母に死に別れ、家は貧しく、小作をして日々の暮らしをしのいでいました。父が老いて足が立たなくなると小さな車を作り、あぜに運び、面倒を見ながら仕事に励んでいました。
  しばらく後に、父が亡くなりましたがお葬式の費用がまかなえず、自分の身を売って、その代金を工面しました。

  父の葬式が終わり、董永が身を売った相手の元に行こうと夜道を行くと美女と出会いました。その娘は董永の妻となるといい、そのまま二人で貸し手の所へ出向き、しばらくの猶予をもらいました。
  娘は一月の間に三百疋の絹を織り上げると董永の借金の代として返し、これに貸し手も心を動かし、董永を許しました。
  その後娘は、自分は天上の織り姫で董永の親孝行に感じ、その負い目を代わりに償うために天より遣わされたと言うと、天へと昇って行きました。
         「董永。」

  腰が痛いと、親に腰を揉ませてる自分には痛〜い話しでした(笑)。みなさん、親孝行してますか?