大江山の鬼、酒呑童子。

酒呑童子は十四、五の少年の姿のまま神通力を持った不老不死の怪物となって、京の町を襲います。

酒呑童子とその眷属は「うつくしき稚児に化けて」、またある時は「母御の姿をまなび」、また「乳母がありさまとなって言い寄」り、なんの疑いも無く見ている女房や娘達を、宙にひっさげ虚空に翔んで、「夜毎に人を取りくらい」ました。v

町から夜な夜な娘が消えていく、それも公家も武家も区別なく、警戒をしても、連れ去られるものは増えていくばかり。

帝はついに酒呑童子討伐の勅命を発し、それを受けた藤原頼光、平井(藤原)保昌、そして頼光四天王、渡辺綱、坂田金時、碓井定光、卜部季武の六人は、山伏の姿となって、大江山「禅定が嶽」へ向かいます。


一行が大江山に入ると、頼光らは三人の翁に出会います。三人の翁は八幡、住吉、熊野の神々の化身で、翁達は頼光達に三つの物を授けます。

一つは「しんべんきどくしゅ、神の方便、鬼の毒酒と読む」不思議の酒。

この酒を鬼が飲むと、飛行自在の力を失い、切っても突いてもわからなくなり、頼光達が飲むと、薬になるというお酒です。

二つ目は「打銚子(うちでうし)」。

(ながえのてうし、とも言う。)この銚子は昔神世の時、鬼神と争いがあった時、この銚子で酒を飲ませ、鬼をたいらげたもの。

口の二つあるのは毒と薬のへだてで、柄のながいのは、命の縁起をかたどったもので、このちょうしで酌むなら、不思議の酒もいくら飲んでも尽きないものでした。

最後は「ほしかぶと」(ぼうしかぶと、帽子兜)という兜。

このかぶとは昔神軍が悪魔を鎮める時、「正八幡大菩薩が召したる」もので、これをかしらにいだだいていれば、万人力でくろがねの矢をはなち、矛をふりあげられるようになり、体になんのさわりがないという不思議な兜でした。

三人の翁は頼光一行の先達をつとめ、険しい峰を越え、深い谷を渡って行き、大きな岩穴に案内します。

頼光らは翁達とその岩穴に入って行きますが、その洞穴は先に行くほど狭くなり、暗く長い闇の中を、翁達に遅れないようについていきます。

三町ほど歩くと明るいところに出て、谷川の岸に出ると翁達は、「この川上に十七、八の上臈がいる、詳しい事はその娘に聞きなさい。」と言い残すと消えてしまいました。

一行が川の上流へとのぼっていくと、川のほとりで涙にくれながら血の付いた衣を洗っている上臈がいました。

頼光らはこの娘が「鬼の眷属が変化した」ものか、「鬼神が女に変じ、われらをたぶらかさんと」したものか、疑いますが、娘は鬼に連れ去られ、働かされていたものと分かり、「鬼が城」への道を聞いて、娘を配下に送り届けさせます。

頼光らは鬼が城のつくと門番と激しい応酬を繰り広げます。

山伏姿の頼光一行が、本当に山伏なのか? 門番の鬼達は疑いますが、酒呑童子に注進に行った鬼が「童子の意」を伝え、頼光達を城内に通します。

酒呑童子は頼光ら一行を招き入れると、酒を勧め、酒盛りを始めます。

酒呑童子は頼光を「どこかで見た人」と疑います。

酒呑童子は神通力で人の心をさとりますが、ほしかぶとの力で頼光の心が読めません。

酒呑童子は疑いながらも頼光の進める酒の毒に少しづつ参っていきます。

全身に毒が回った酒呑童子は、もはや座る事さえ出来なくなり、頼光達を残して寝所に入ります。

頼光達はよいつぶれた鬼を倒し、寝所に進むます。 鬼の城は客殿が幾重にも重なり、四季の庭を続く不思議な空間でした。

その中にひときわ美しい寝殿がありました。

するとふたたび三人の翁が現れ、「よくここまで来られた。鬼の手足は鎖で四方の柱につないである。酒呑童子は身動きすらとれない。」と鉄の扉を押し開くとまた消えてしまいます。


酒呑童子は鎖につながれ、寝所の中で眠っていました。

その姿は稚児の姿ではなく、身の丈二丈(約六メートル)、髪は赤く逆さまに生え、髪の間から角が生え、髭も眉もしげり、足と手は熊のようなものでした。


頼光は名剣髭切りの太刀で酒呑童子の首をはねます。

その首は怒りをなして虚空に舞い上がり、頼光めがけて襲いかかります。

酒呑童子の首は頼光の兜を食い破りますが、その下につけていたほしかぶと、ぼうしかぶとを破る事が出来ずに終わります。

一行が外に出ると、眷属の一人、茨城童子が襲いかかり、渡辺綱がこれを倒します。

あたりにはもう鬼の姿も見えず、頼光は生き残っているはずの姫君、女房達を救い出すよう命じますが、その声を聞くやいなや、あちこちから生き残った姫君達が出てきて頼光達に駆け寄って来ました。

姫君達は頼光達に喰われて亡くなった者、手足を切られ死んだ堀江の姫君、捕らえられていた間の事をはなします。

その時、残っていたいしくま童子、かね童子が頼光達に襲いかかりますが、酒呑童子亡き後、鬼の力は弱っていて、他の鬼ともども、とらえられます。


こうして頼光達は生き残った姫君や女房三十余名と捕らえた鬼をつれ都に帰ります。

池田中納言の一人娘そして他の姫君達を親元に送り届け、源頼光、平井保昌の二人の大将は宮中に報告に参内します。


帝は頼光に丹波の国を、保昌に丹後の国を、四天王それぞれにも、勲功の賞がありました。

この時、帝より望みがあるなら申せとの言葉に、保昌はつい「和泉式部」と答えてしまい、保昌は帝より和泉式部を賜った、そうです。

いきさつの真偽は?ですが史実上、平井(藤原)保昌は和泉式部の夫で間違いありません。


こうして、酒呑童子退治は幕を下ろすのですが、異説の一つに猟奇的色彩の強いものがあります。


比叡山に容姿の美しい稚児があり、毎晩僧達と酒を飲んで戯れ遊んでいた。

この稚児は酔った後、人に噛みついて血を絞り出し、それを酒に混ぜて飲む、という奇妙な癖を持っていた。

この稚児は比叡を出た後大江山に住み着き、石熊、金熊、ほか数十人の鬼となるものと徒党を組んで、毎晩都に現れ、人民婦女子を攫い害した。

一条帝は勅命を発し、頼光は保昌、綱たち七人と共に大江山に向かった。


この後退治の部分は同じで、この後頼光達は童子の首を持って帰り帝に差し出すと、帝は喜んでこの首を石の箱に入れて山中に埋めたそうです。


京都府中郡大宮町三重の岩屋寺に伝わる酒呑童子の由来記によると、酒呑童子の首は七条河原に七日間さらされた後大江坂に葬られた、と記され、実際に首塚とされているものも存在します。

柏原弥三郎にしても、この比叡山の稚児にしても、史上稀に見る凶悪犯、犯罪集団で、それゆえに「酒呑童子」という鬼となり、また呼ばれるようになったのかもしれません。


 
 
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