日本最初の鬼、阿用の一つ目鬼。

日本書紀の黄泉醜女は地獄の鬼のイメージを持つものですが、実際に記録として「鬼」と記述されている最初のものは、出雲国風土記です。

大原郡阿用郷、現在、島根県大原郡大東町と呼ばれるあたり、阿用下分(あよしもわけ)、甲斐川に合流する赤川と阿用川の流域です。

 古老(ふるおきな)の伝えていへらく、昔或人、此処の山田を

 佃りて(つくりて)守りき。 その時目一つの鬼来たりて、

 佃る人(たつくるひと)の男(おのこ)を食ひき。

 その時、男の父母(かぞいろ)、竹原の中に隠りて(かくりて)

 居りし時に、竹の葉動げり(あよげり)。

 その時、食はるる男、動(あよ)、動(あよ)、といひき。

 故(かれ)、阿欲(あよ)といふ。

               神亀三年、字を阿用と改む。

風土記の時代は、卑弥呼の鬼道、アニミズムによって、託宣を下す事で一地域を統率する支配形態が日本中にありました。

一つ目はこの託宣を下す巫女、神官であったと考えられています。<

超自然的存在、神的存在と交流する事で、常人を越えた力を得るためにいけにえの風習がありました。

いけにえは動物の場合と、人間の場合があり、人間の場合は、体の一部分を傷つける行為が世界的に行われていました。

時代が下り、いけにえとして殺される事は無くなりましたが、片足を折られる、片目を潰される、という象徴的な行為は残っていました。

日本の場合、いけにえにする前、いけにえとなる神の候補(王)は、片足を折られて逃げられなくさせられているか、また、捧げ物として片目を潰されていました。

体の一部分を著自然的な存在に捧げる事で、常任にはない力を得たのです。

阿用に現れた鬼は、神官が暴力的に土地の者の財を自分のものにしようとして起った惨劇、と読まれています。

そして時代がもっと下がり、アニミズムの力をもった者、集団が、支配階級から転がり落ち、大和朝廷の新たな主神、天皇の統率から離れて、山野道路を漂白流浪し始めた時、新たな鬼が生まれたのです。


鬼と大人。

民族学者・折口信夫はオニを大人(おおひと)、大和朝廷に征服された先住民ではないかと述べています。

「風土記」には土蜘蛛という先住土着民の中で力の強大な集団の記述が多くあります。

「土蜘蛛」の名は「逸文風土記」の中で、神武東征の際、偽者土蛛(あたつちくも、あたは賊の意)がいたが、穴居していたため、「賎しき号(な)」を賜い「土蛛」と呼ぶようになった、とかかれてあります。

 

風土記に記述されている土蜘蛛は、卑弥呼的なイメージを持っています。

 松浦郡の土蜘蛛、名を海松樫媛(みるかしひめ)という。

 景行天皇巡幸の時、随従の大屋田子(おおやたこ)に殺される。

 杵島郡嬢子山(おみなやま)に土蜘蛛八十女(やそめ)あり。

 山頂にあり天言を下し、村を支配し服従せず。

 景行軍を派遣し滅ぼす。

 彼杵郡(そのきのこおり)浮穴郷の土蜘蛛、浮穴媛(うきあなひめ)、巡幸に無礼。

 敬の心なしと滅ぼされる。


土蜘蛛は朝廷に反発した者ばかりではありません。

「日本書紀」の「景行天皇紀」には八女県(やめのあがた)の美形の山に八女津媛(やめつひめ)という女神(ひめかみ)が住み象徴的存在として、民心をつかんでいた、と書かれてあります。


また肥前国風土記には、

左嘉郡に女土蜘蛛、大山田女(おおやまだめ)・狭山田女(さやまだめ)あり、荒ぶる神、人を殺すとき、下田の土をもって人形・馬形を作り祭れと占う。言葉の通り神しずまって殺人の事絶える。

と、あります。

土蜘蛛は、或る者は国つ神として、朝廷の神々に組み込まれ、また大和朝廷の一方的な政令に反発したものとして、滅ぼされていきます。

そして文化的に低い者として辱められ、次第に山深い奥地に追いつめられて行きます。

もとは神として、それから山に追われ棲んだ鬼として、里と交渉を持つものがいました。

福も鬼も同じものだったのかもしれません。


補記。

現地風景

 
 
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