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端午の節句と山姥。
端午の節句。
  端午の節句の料理・マナー・工作。
  ◆端午の節句レシピ。
 お赤飯。
 http://www.shufu2.jp/season/tango/06.html
 柏餅・ちまき。
 http://www.sunverdir.com/archives/50708669.html
 http://www.e-kyoto.net/aji/haru06.htm
 Baby Food Recipes
 http://bfrecipe.web.infoseek.co.jp/class/event/boysfestival/boysfestival.html
 キッコーマン。
 http://www.kikkoman.co.jp/homecook/college/saiji/kodomo/
 manma-miya
 http://www.manma-miya.jp/category/boysfestival.html
 お子さま行事の料理
 http://koboku.exblog.jp/i3/
◆初節句マナー。
 http://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/maner.html
 http://www.mori-san.com/hina/jiten/q_and_a.html#gogatsu
 http://www.taka.co.jp/okuru/o-kan05.htm
 http://bloom-bloom.jp/hpgen/HPB/entries/10.html
◆こどもの日の工作。
 キッズ@nifty
 http://kids.nifty.com/kodomo/index.htm
 http://kids.nifty.com/handmade/paper/event/13/index.htm
 エプソンOA
 http://epson-supply.jp/printlife/pdf_data/event/kodomo.html
 牛乳パックで作るサッカーボール
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~waroh/craft/soccer-ball.htm

  端午の節句の由来。
   端午は「初五」の意で、端は初めの意、午は五の同音で同じ意味を指します。端午はもともと月の初めの午(うま)の日、もとは五月以外にも毎月の上旬の五日の意味もありましたが、中国の漢の時代に、五月五日をさすようになりました。中国では月と日の数が重なる日を祝日に定める事が多く、三月三日(重三)、九月九日(重陽)などのように、重日(じゅうじつ・月と日におなじ数が重なる日)は縁起がよいとする説から、「重五」と言って祝われました。
 中国ではもともとこの日を「悪日」として、野外に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)でつくった人形を、家の戸口にかけたり、「競渡(けいと)」という船を漕ぐ競漕をし、菖蒲を浸した酒を飲むなど、病気や災厄をはらう行事が行われていました。
 一方、日本では、「正・五・九月」という言葉にあるように、五月は田植えの月で、一年のうちでも重要な月とされていました。
 田植えは、穀物の霊魂を増やすために田の神を迎えて祭る神事とされていたので、そのときには嫁取りや婿取りも避け、慎み深い生活をしなければなりませんでした。
 田植えをするのは、生命を産み出す女性の役目で、早乙女として五月に早苗を田に植えます。
 早乙女のサ、五月のサ、早苗のサは全部、稲の穂、穀霊を表す言葉です。
 田植えという神事を行う女性は清浄さが求められ、とりわけ、自分の結婚式などの私事を行うことは神をないがしろにすることとして禁じられたのです。
 また、神様の祭りをするためには身を清め、「忌みごもり」をしなければなりません。これを「五月忌み」と言い、この日には菖蒲で亭主の屍をたたいて家から追い出し、女性だけで家にこもったので、「女の家」とも言われました。
 また、菖蒲で家の屋根をふくので「ふきごもり」と言ったり、愛知県や徳島県、中では五月四日を「女の晩」、高知県の山「女の天下」と言い、昔は男性に従う一方だった女性がこの日は威張っていい日とされました。
 「女の家」については、江戸時代の浄瑠璃作家、近松門左衛門の『女殺油地獄』に「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」という一節があります。

 つまり、大昔の日本では端午の節供は男の祭りではなく、田植えに結びついた女性の祭りだったのです。

 祝日としての歴史も古く、朝廷では古くから端午の節供が公の儀式とされ、武家や民間でも
この日を祝うのが一般化していたそうです。
 鎌倉幕府、室町幕府でもこの日を公の祝日とし、江戸時代に入ると五節供の一つとして重要視され、当然祝日とされました。明治に入っても富国強兵の国是とされ、現在でも「こどもの日」として国民の祝日となっています。

 
  菖蒲の話。
   三月三日を「桃の節供」と言うのに対して、五月五日を「菖蒲の節供」と言います。この日には家の軒に菖蒲をさし、菖蒲の鉢巻をして菖蒲湯に入ります。菖蒲が使われる理由は、山姥を女房にした男がその正体を知ってしまい、山姥に追われて菖蒲の下にかくれて難を逃れたという伝説にもとづいていると言われます。

 しかし、もともとは菖蒲のもつ匂いが蛇や虫をよせつけないことが知られるようになり、その根を干して煎じて飲めば解毒作用があると信じられたためです。
 家の軒に菖蒲をさすのは、平安時代に宮殿をはじめ貴族や庶民の家に至るまで、火事を避けるまじないとして菖蒲やヨモギで屋根をふいたことからきています。
 菖蒲の鉢巻をするのは、この季節は子どもが大人になるための成年戒という式が行われる時期で、それに先立ってけがれをはらう意味があったからなのです。
 現在五月五日が子どもの日となっているのは、こうした理由からきています。五月四日の夜は菖蒲の枕で眠り、次の日はそれを風呂に入れて邪気をはらいます。

 菖蒲湯は田の神を迎えるための禊の名残りとも考えられます。
 平安時代には、宮中で「五日の節会」という行事が行われ、出席する貴族は頭に「菖蒲鬘(あやめかずら)」をかぶり、「続命縷(しょくめいる)」という五色の糸で作られたくす玉を腕につけて競馬や流鏑馬(馬に乗って弓潅射る競技)を観戦しました。
 一方、農村では田植えに先立って、その年の稲の豊凶を占う行事として、「菖蒲打ち」が行われました。菖蒲の葉を束ねたもので地面を打って音の大きさを競ったり、隣村の子どもたちと打ち合いをして、負けるとその村は凶作になるとするものなど、いろいろあります。
 また、「印地打ち」と言って、川を挟んで石を投げ合う、石合戦も行われました。