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三月ー花と少女の物語。
 
ひな祭り。
 

◆ひな祭りレシピ。
 キッコーマンひな祭りの料理レシピ。
  http://www.kikkoman.co.jp/homecook/college/saiji/hina/
 味の素KK ひな祭りレシピ特集
  http://www.ajinomoto.co.jp/recipe/special/659/S1.asp
 manma-miyaひな祭り料理のレシピ・作り方
  http://www.manma-miya.jp/category/girlsfestival.html
◆ひなあられ・菱餅・三色団子レシピ。
 ひなあられのレシピ KIRIN キリンビール
  http://www.kirin.co.jp/cgi-bin/otsumami/search/recipe_core.cgi?recipe_no=906&no_recipe_ranking=&theme=
 菱餅のレシピ。
  http://allabout.co.jp/family/singlelife/closeup/CU20060221B/index.htm
 三色団子と野菜あんのレシピ。
  http://www.kdep.co.jp/recipe/recipe_34.html
◆初節句マナー。
 初節句お祝いマナー。
  http://www.kmrh.com/seck.html
 初節句のマナー。
  http://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/hatuzekku.html
◆ひな祭りの工作。 プリントアウトして作る紙工作のデータ集です。
 エプソンPDFデータ集。
  http://epson-supply.jp/printlife/pdf_data/event/hinamaturi.html
 キッズ@miffty
  http://kids.nifty.com/handmade/paper/event/09/index.htm
 YAMAHA
  http://www.yamaha-motor.co.jp/entertainment/papercraft/seasons/
 子供と作る超簡単!手作りのお雛様
  http://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/handmade.html
 笹徳印刷株式会社
  http://www.sasatoku.co.jp/hp/present/paper_craft/poetic_event/hinamatsuri/
 折り紙。
  http://www.origami-club.com/season/index.htm
 段ボールハウス。
  http://www.morii-group.co.jp/e-dan/ebox_house_img.html

  雛祭りの由来。
 

 上巳の節供、元巳(げんし)、重三(ちょうさん)の節供、雛節供、桃の節供とも言います。女の子が初めて迎える節供を初節供と言い、特にお祝いをします。母親の実家から雛人形や調度品が贈られるとされています。

 中国では、「上巳」と言い、旧暦三月の巳の日の行事でしたが、魏(220〜265)の時代に、三が二つ重なる三月三日となりました(重三の節供)。古来中国ではこの日に川で身を清め不浄を払う習慣があり、酒を飲む風習がありました。これが、平安時代に宮中に取り入れられ、「曲水の宴」に発展したのです。
 曲水の宴は、川や池の上流から流されてきた杯が目の前を通り過ぎないうちに歌をよみ、かつ杯を取り上げて酒を飲むという行事です。
 宮中では、曲水の宴を張った後、祓えを行うようになりましたが、曲水の宴は次第にすたれ、「上巳の祓え」だけが定着しました。

 一方、日本の農民にとって、春三月という時期は、草木が萌え出し、新しい年の農耕が始まろうとする季節です。
 人々は山から田の神を迎えるため、海や山へ出て一日を過ごし、身のけがれを洗い流すいろいろなまじないをするようになりました。
 これを「巳の日の祓い」と言いますが、撫物という穢れを除くための禊や祈祷などに用いる人形を、紙や土でつくり、これで体を撫でて、穢れや禍をなどを移し、川に流したり、祈祷所で祓い捨てたりしました。

 今でも、このような風習を残すところがあります。
 特に、鳥取県の因幡地方、和歌山市加太や吉野川、紀ノ川流域で行われる「流し雛」が有名です。
 また、広島県では三月三日まではお雛様を飾りますが、三日の夕方あるいは四日には流してしまいます。
 奈良県では、雛壇に飾る雛とは別に、めいめいが紙で作った雛を桟俵(米俵の両端の円いふたの部分)や竹の皮で作った舟にのせて流します。これらの行事は「雛送り」とも呼ばれています。
 このように、三月三日の雛祭りは、中国からの「上巳」の行事が日本固有の祓いの行事と結びついて根づいたものでした。
 雛祭りは初めは宮中や貴族の間で行われていましたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代に入ると五節句の一つとなりました。元禄以降になると雛人形も段々華美になり、幕府から御触書が出るなどしました。明治以降は華やかで、にぎやかなものとなりました。

  雛の膳。
   雛の膳は雛祭りに、雛壇に供えられる祝い膳の事です。
 雛壇の前で女の子たちが集まって会食を楽しむ風景は、かつて日本で三月に行われていた山遊びの風習を伝えたものと言われています。当時は、山や川で穢れを祓った後、蓬などを採って、一同で飲食を供にしていました。
 それは女の子のままごと遊びのような会食で、農耕の神様を迎えて行う、神と人との共食の儀礼と深くつながっています。

 雛祭りで代表的な食べ物は、桃花酒と白酒、そして菱餅です。
 雛膳の桃花酒は、桃の花をひたした酒で、桃の節句に飲めば百病を除くとされています。 古代中国で、桃は邪気を祓う仙木と考えられていた事から、桃の酒を飲む習慣が出来たと考えられています。日本でも魔除けとしする事が多く、神符等も「桃符」と呼ばれました。

 桃の葉は汗疹(あせも)やただれに効きめがあり、湯船に入れて桃湯と言いました。また葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして古代から用いられてきました。
 室町時代になると、桃花酒に代わって、白酒が祝いの席で飲まれるようになりました。白酒は、みりんに蒸した米やこうじを混ぜ合わせ、熟成糖化させた甘味の強い、白く濁った酒で、山川酒(やまかわざけ)とも言うそうです。
 菱餅は伸し餅を菱形に切ったもので、一般的に紅白緑の三層に重ねたものです。菱餅の紅・白・緑は、それぞれ桃の花、緑の三段重ねの色は、白酒、草餅の色を表していると言われます。また、紅の山梔子(くちなし)は解毒剤、白は血圧低下剤、緑の蓬は邪気をはらう力をもっていると信じられていて、増血剤となっているともされ、菱形自体が心臓の形を表したもので災厄を除こうとする気持ちや、親が娘の健康を願う気持ちが込められているとされています。
 餅や雛あられはこの季節に特に補給しなければならないデンプンが多く含まれており、それぞれに深い意味が込められていたのです。

  雛人形。
   雛人形の元型は祓いのために使う「人形」でした。
京都では鴨川に流されていましたが、人口が増えるにつれてそれもむずかしくなり、寺に持っていって祈頑してもらえば、それで厄除けの役目はすんだと考えられるようになりました。
そのうえ、次第に美しい精巧な雛が作られるようになると、その時かぎりで流してしまうのはもったいないということで保存され、愛玩や観賞の対象となっていきました。
 雛の材料は初めは紙でしたが、地方によっては土製の人形も作られていました。胡粉(貝殻を焼いて作った白色を塗って顔を描いた雛に、美しい布でできたはなやかな衣装を着せたものが作られるようになりました。

 江戸時代には容姿や素材の変わったさまぎまな雛が製作されました。
 雛人形の古い形は立っている立雛ですが、次第に男女二体の座雛の形をした内裏雛も現れてきたのです。
 そして公家や大名ばかりでなく、庶民のあいだにも雛人形を飾る風習が広まり、内裏雛のほかに、お供の人形や調度品なども飾られるようになりました。ところで、上方(大坂や京都)と江戸では、飾り方が異なっていました。

 上方は「雛の館」という御殿を作ってそのなかに内裏雛を飾り、御殿の前に公家風の嫁入り道具を並べます。江戸では武家風の段飾りで、五段とか七段の雛壇に、内裏雛、官女、随身、仕丁のほか、五人嚇子などの人形と調度品を置きます。
 雛人形が次第に豪華なものとなっていっても、かつての人間の身代わりとしての「人形」の意義は失われることはありませんでした。
 特に女性が、旅行や嫁入りの道中での災いを人形に代わってもらおうと、抱いて輿に乗ることがならわしとなりました。
 そのようなことから、公家や武士など上流階級では、婚礼の嫁入り道具のなかに雛人形を入れるようになったのです。
 さらには、女の子がいつの時代にもあこがれる「嫁入り」をまねた人形が作られるようになり、初めは一体だった人形が、男女二体の内裏雛となっていきました。一緒に飾られる調度品は、嫁入り道具をまねたミニチュアとなったのです。
 そして、江戸時代に五節供の一つ、五月五日が男の子の節供となったのに対し、三月三日の雛祭りが女の子の節供と考えられるようになりました。
 大名の家では嫁入り後初めての節供に内裏雛を飾り、公家では女の子の誕生を祝って雛を贈るようになりました。
 江戸時代中期ごろからは、庶民のあいだでも女の子の初節供には母方の里から雛を贈って祝うようになり、女の子の祭りとして定着していったのです。

  流し雛。
   三月三日の夕方、節句の行事が終わると人形(ひとがた)を川や海に流して穢れを祓いました。
 鳥取県用瀬町の流し雛は室町時代の発祥で、長いあいだ行われず昭和三十七年に復活しました。小さな土製の人形の首に胡粉、目鼻を書き、男には金紙の冠、女には墨で髪を描き、この人形を二対、一対は昨年のもの、一対は今年のものを桟俵に菱餅や菓子、桃の枝等を一緒に載せ、川に流します。
 和歌山県那賀郡粉河町では、色紙で男女二体の雛を作り、大豆大の土の首をつけて紀ノ川に流します。
 他に、奈良地方、広島県大竹市の小瀬河原(三月中旬)等でも行われています。

  男雛と女雛。
 

 昔は内裏雛を飾るときには、男雛を左側(向かって右)、女雛を右側(向かって左)に置き、現在では女雛が左、男雛が右というのが一般的です。京都では現在も昔の並び方で飾られています。

 古く、日本では左側が上位、右側が下位と考えられていました。

 天皇は、「天子両面」という言葉が示すように、紫宸殿の玉座に北を背にして常に南のほうを向いて座っていました。その位置では、天皇の左手が東、右手が西。昔は日の出る東のほうが日の沈む西より上と考えられていたのです。
 そのため天皇は左手に座り、左大臣と石大臣では、左大臣のほうが上位ということになっていたのです。

 ところが、ヨーロッパでは逆に男性が右に、女性が左に並ぶならわしでした。これは中世のころ、髄士が戦うときには、右手に剣を持ち、左手で婦人を抱えて守ったことから始まったと言われています。そのため、日本では大正天皇が即位されたとき、洋装で∃一口ツパ式に天皇が右、皇后が左に並びました。そのため御真影(天皇・皇后の写真)にもその形が残り、これ以後は、一般の人々もそれにならうようになり、内裏雛も左側に女雛が節られるようになったそうです。

  雪洞(ぼんぼり)。
 

 あかりをつけましょ、ぼんぼりに〜♪の雪洞は、雛壇の飾りだけでなく、戸外では夜桜見物や祭りを彩っています。
 雪洞は蝋燭をともす燭台に、行灯や提灯とおなじように、炎が風で揺らめいたり消えたりするのを防ぐ工夫をこらした照明具で、初めは四角形でしたが、やがて六角形のものができ、円筒形のものも作られました。
 これが優美なうえ、酷闇をほんのり浮き立たせて情緒があるため、江戸時代中期には広く普及しました。
 床や地面に置いて使うもののほかに、枠の下のほうにも取手のついた携行用のものもあります。

  ガンドウチと雛あらし。
   節供には、ふだんの生活では食べられないような、おいしくて珍しい食べ物を供えるのが普通ですが、昔は、子どもたちが家々を回り歩き、その家の人に黙って料理を食べる習慣がありました。
 雛祭りのときにも、子どもたちが一団となって、訪ねては、お雛様が飾られている家々を餅や雛あられを勝手に取ったりしました。これを愛知県や岐阜県では、「ガンドウチ」と言います。
 ガンドとは強盗をガンドーと呼んだことからきた言葉です。この地方では、十五夜に月見団子を盗むことも許されていて、このような事を「カンドウチ」と言います。
 岡山県では、おなじような風習を「雛荒らし」と呼んでいて、子どもたちは「お雛荒らしに参じた」と言いながら、お雛様の供え物をもらって歩きます。
 高知県では、雛遊び自体を雛荒らしと言い、女の子の生まれた家は、豆と餅を持って浜に行き、途中で行き会った人みんなに配るというならわしもあります。