豆まき・豆打ち。

農耕が生活の中心だった時代には、五穀の一つである大豆には穀物の霊が宿っており、その霊力によって、悪霊を退散させることができると考えられていました。

豆まきは地方によっていろいろと特色がありますが、例えば昔の京都、大坂、江戸の三都では、一家の主人は豆打ち役、長男が豆男となって、家の者が戸や障子を開けたときに大声で「福は内、鬼は外」と叫び、豆打ち役が座敷、納戸、茶の間、玄閑と次々に豆をまいて行くあとを、二度と鬼が家に入らぬように音高く戸を閉めていきます。

長野県では、年男またはその家の男子が一升桝に入った豆をまいていき、その後からすりこぎを持った者が続いてすりこぎを動かしながら、「ごもっとも、ごもっとも」 と言うならわしがあります。

同様に福井県でも、桟俵(米俵の円いふた)を笠に見立ててかぶった人が部屋の四隅に豆をまくと、もう一人が 「ごもっとも、押さえましょう」と言いながら、ほうきで鬼を押さえるまねをする風習があります。

豆まきのあとは、自分の年の数だけ豆を拾って食べます。

正確には、もうすぐ新年になり一つ年を取るわけですから、自分の年より一つ多く食べるのがならわしだったそうです。

昔は節分、年越しの夜に大豆を焼いて新年の天候を占うことも行われていました。

豆まきは豆を打つ事ではなく。豆の種を畑におろす事の模倣的な作法であり、東北地方では予祝行事の一つとして行われています。

豆を炒る事は、これによって豆占(まめうら)を行い、その年の豊凶や月々の天候を占う家々の行事であり、これは現在も行われています。


中国での豆まきは、漢代あるいはそれ以前から赤丸(小豆)、五穀を投げつけて鬼気を払う習俗があった事が知られています。

日本の豆打ちの行事は追儺と違って、文献に登場したときから節分の行事として記されており、追儺の行事と豆打ちの行事は元々違うものだったものでしたが、追儺の行事の行われる日が変わって行き、同じ日に行われるようになったものと考えられます。


現在の豆まきの行事は、厄払いと年取りの行事が混在したものとなっています。



 
 
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