鏡餅。

鏡餅は古くは倒語として餅鏡と言い、丸く平たい大小の餅を重ねたものです。

餅を「モチイ」「モチイイ」と言うのは餅飯、つまり飯にしてからついた餅で、火をもちいない粢(シトギ)に対する言葉と考えられています。

粢餅と称して、もち米を少しついて餅になするようになったのは、両者の中間的な形と言えます。


延喜式によると、神仏の祭りの料として供えられたましたが、その種類は、仁王経供養会の菓子餅・薄餅、庭火・平野竃神祭りの白・黒餅、釈奠の白餅・黒餅などがありましたが、今日のお供え餅のようなものかどうかは疑わしいとされています。

粢餅は長卵形から楕円形に変わったと言われ、餅飯についても卵形の餅、今日の鶴の子餅のようなものが通例だったかもしれません。

餅の形は心臓に形どったものがはじめとの説もあり、正円形の鏡餅はむしろ供物としての特殊な餅だったと考えられます。

餅鏡の用例は「源氏物語」等に見られますが、鏡餅の例は中世以前に見当たらない事から、中世以降の新しい語形であると言えます。


鏡開き。 一月十一日。

正月に供えた鏡餅を下げて食べる祝いの儀式で、 鏡は望月同様円満を、開くは末広がりの意味があります。

鏡開きは、第一にお餅に宿った年神様をお送りする、その宿ったお餅をいただく事で一年の間の家族一族の無病息災を願うという意味合いがあります。


鏡開きはもともと二十日、大正月の終わりと、その年の仕事始めで、武士は、具足櫃(ひつ)開きをし、主家の鏡餅を君臣ともども分け合って主従固めをし、商家では、蔵開きをし、農村では田打ち正月をして、一年の出発としました。


元は正月二十日に行われた行事で、武家では具足開きと言い、具足に供えた具足餅または鎧餅を雑煮にして食べる事を「刃柄(はつか)を祝う」と言いました。

また婦人は鏡台に供えた鏡餅を、「初顔祝う」と言って、同じように雑煮にしました。

ともに二十日をかける縁語として祝いました。


しかし、徳川三代将軍家光が四月二十日に他界したため月命日の二十日を嫌い、十一日に変更され、そのまま現在も続いています。

剣道などの武道で、新年の道場開きに鏡開きをする(またはお汁粉などをふるまう)のは、その名残りです。

武家由来のため刃物を嫌い、金づち等で割るため、「開く」とめでたい言葉を使い、「鏡割り」ともいいます。


新潟県上越市では鏡開きを鏡ナラシと言うそうです。

また、岩手県二戸郡では、正月二十日の行事を「お供開き(おそなえひらき)」と言い、正月のお供えを、家中召使いにいたるまで、雑煮にして食べます。

大分県速見郡山香町で正月二十日を「歯固の日(はがためのひ)」と言い、鏡餅等を開いて、固いものをたべます。


 
 
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