正月。

言葉の上では、一年の初めの月の呼び名・祝い・行事をさします。

「正」が年の初め、年の改まる意味がある事から「正」月となりました。

仏教伝来以前、日本では半年ごとに、先祖の魂を迎えていました。仏教の影響が大きくなるにつれて、夏の先祖迎えは盂蘭盆会となり先祖供養、仏教色が強くなり、正月は神祭り、年神様を迎えて、新年の豊作を願う月、五穀をもたらす年神様を祭るようになりました。

「徒然草」には、東国の風俗として、歳の夜には亡き人の来る夜だというので、魂祭を行う風習がありました。

当時の京都ではすでに行われず、東国での遺風とされ、これは、おそらくお盆に火を焚く迎え火の行事と考えられています。

現在でも東日本の各地で、大晦日に祖霊供養のためにミタマの飯とかニダマと呼ぶ飯を仏前に供える風があり、西日本でも元旦にいわゆる年頭墓参の行事があるのは、いずれも魂祭の作法です。

お盆が仏教的行事としてその色彩を濃くするのと対照的に、正月は神祭の意識を強めて行きました。

お盆の祭りには、祖霊の供養と祭る人のいない、餓鬼・亡魂の類への手向けが行われ、正月の魂祭には粗霊の霊魂とは別に歳神または歳徳神という特別の神格が考えられ、そのために恵方棚などを設け、正月を年神の祭りとして理解しました。

火祭りを行う事は盆も正月も同様ですが、盆は迎え火・門火・高灯籠など、戸毎の行事が多く、それは粗霊の去来する道筋を照らすもののように教化され、正月の火祭りは鬼火などと称して、悪鬼・悪霊等を追い払うという火祭り本来の意義を残しており、規模として村共同で行うものがいるものが多くあります。

お盆と比べて、正月のもっとも異なる点は、農耕儀礼の行事が多い事です。

これは、トシと言う言葉が実りを意味する言葉で、年のはじめに豊産を祈るために予祝の行事を行うからですが、お盆にも七日盆、また七夕には農耕関係の祈願の行事も多くあります。


正月行事は、正月準備の開始日として、十二月十三日を用いる事が多く、正月始め、正月の事始め等と言います。

昔、朝廷では群臣が御竃木(おかまぎ)を奉った信仰と同じように、この日から暮れまでに年木を取り、神社や民間で大晦日の深夜に火を改め、年木を焚いて正月中絶やさぬ風習が残っています。

門松は元旦の前一日は少なくとも休ませておくものとされ、松迎え等と称する行事を陰暦なら二十八日以前に行い、餅も九日餅を忌む風習があります。

年越しの夜は寝ずに静かに謹慎して年神を迎えるのが本来の有り様で、その解斎(げさい)の食事が雑煮です。

現在でも九州等、祭日に神社でお籠りする風習のある所では、家々で年籠りの行事が残っています。

その他の地方でも、除夜に名神大社に社参する風習が広く行われ、除夜の鐘を境に二年にまたがるので二年参り等と言う所もあります。

元旦の朝、または年頭に初参りと称して神仏にもうでるのも参詣の変形と考えられています。

元旦の行事は、人為的意識的に歪められた跡が多くあります。

年男となる者が、若水その他一切の行事を祭主の資格で取り仕切る例が多いのですが、武家時代以降、下人にさせようとする風潮が現れました。

年始の回礼は、村の生活ではありえないもので、村では氏神様への初詣の後、本家、または親方の家に集まって祝宴を開くのが通例でした。

年賀状なども金星以後特殊な人々の間だけで行われていたもので、現在のように一般的ではありませんでした。

正月の行事の混乱は、朔旦正月と望正月の重複、繰り返しが起こった事、またその上に立春の行事が組合わさったために起こっている、とされています。

朔旦正月は新月を月初めとしたいわゆる新しいもので、望正月は満月を月初めとした古い時代の区切りのお正月です。

まず、望正月が本来であった所へ、朔旦正月が起こったため、望正月の物忌みの開始期の行事らしい七日の行事が、七日正月・六日年越しとして起こったため、複雑になったようです。

また門松と餅つきを二度行う事を避けるために、まず朔旦正月で門松と餅つき、望の正月で常磐木を年木として飾る行事とし、削掛・餅花等を望の正月特有のものとするようになりました。

朔旦正月には鏡餅・身祝いの行事で餅を主に用いるため、望の正月には餅花や粥を主に神供としています。

また祝言の芸能を家々に訪れて行う行事も多くは望の正月・七日正月に集中する事となりました。

朔旦正月が公式の正月とされた後も、宮廷でも民間でも望の正月行事が根強く残っていましたが、朔旦正月の比重が増して来ました。

いわゆる三ヶ日から五ヶ日、また七日までを松の内と称するようになりました。

松の内が過ぎると、望の正月までの数日間は平日の期間があるわけで、これを餅の無い期間、餅間(もちあい)と言う所もありました。

本来、餅の正月(十五日小正月)の節句の前には物忌みの期間がありましたが、早くから廃れていていました。

これをややこしくしたのが七草粥の節句で、これは江戸時代にそれまでの習俗を人日として公認しただけですが、結果として、小正月の開始期を十四、五日とギリギリにしてしまったようです。

土地により、古来の正月行事を朔旦正月に移して行うようになりましたが、望の正月にそのまま残されているものも多くあります。


元旦から七日までを「大正月」「松の内」。

一月七日を「七日正月」「七草の節句」。

十五日を「小正月」「二番正月」。

二十日を「二十日正月」「骨正月」等と呼び、二十日を正月の終りとする地方が多いようです。

一月は、様々な行事が目白押しで、○○始め、初○○と呼んで特に重要視しています。


 
 
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