新年の始まり。

今の世界、日本では、大晦日の夜中、つまり除夜の鐘をつき始めるときを新年の始まりとします。

ま私たちは元日一の日の出の時や目覚めたときを新年と考え、「明けましておめでとうごぎいます」とあいさつしたりします。

ところが昔、世界や日本では一日の始まりは今と違っていました。

昔は、日が暮れたときがその日の始まりで、次の日が暮れるまでを一日と考えていました。

大晦日の夜は、すでに新年が始まっているということになるのです。

そのため、大晦日の夕方までに正月を迎えるすべての準備を整えて、日暮れとともに年神を迎えて年神祭りを行わなければならなかったのです。


年神。

正月には、年神=「年徳神」「歳徳神」「正月様」とも言われる神様がやって来ます。

年神様は高い山から里に降りてきて、里人に一年の実りと幸福を約束してくれる神様で、正月の卯の日にお帰りになるとされています。

古代の信仰では、すべてのモノ、鉱物、植物、動物や人には魂があると考えられていました。

また、穀物の生命(いなだま)と人間の生命(たま)を一つのものと考えていました。

魂はもともと一つのものであり、人が亡くなるとある一定期間を過ぎると祖霊という魂の集合体に入り、常世の神になると信じていたのです。

祖霊は春になると「田の神」となり、実りの季節が終わり秋になると山に帰って「山の神」に、そして正月には「歳神様」となって、各家庭に繁栄をもたらすため訪れ、子孫の繁栄を見守ってくれるのだと考えたのです。

年神は祖先の神様であり、また穀霊でもあったのです。

そこで、大晦日から元日にかけて祖先を祭る「霊祭り(みたままつり)」が各地で広く行われ、墓参りをするのです。


年神祭り。

年神祭りをはじめとする正月の行事いっさいを取り仕切るのは、「年男」と呼ばれる人たちで、一家の主またはその長男がなります。

煤払いから、松迎え、年棚の飾りつけ、注連縄張りにいたるまで、すべて年男が采配を振いました。

大晦日の日没とともに、祭壇の灯明をともすために神聖な火をおこします。

これを「若火迎え」、と言います。

それから、「お節料理」や「雑煮」の準備にとりかかりますが、それらに使う清浄な水をくんでくるのが「若水迎え」です。

年神祭りの中でも一番大事なならわしは、ていねいに調理し、きれいに盛りつけた食べ物を神様にお供えする事です。

これは、人間が生きていくうえで最も必要な食べ物を神様にささげることで、一年を無事に過ごせたことを感謝する意味があるのです。

そのお下がりをいただいて神様と一緒に食べることを神人共食と言い、それが現在のお節料理なのです。

年神祭りはまず、鏡餅と家族の人数分の円餅を三方や折敷などにのせて、祭壇に供えます。

そして、座敷や玄関にも、餅、白米、海老、昆布、柿、栗などを飾った蓬莱を据えます。

そのほか、居間や台所、便所にも、小さな円餅を飾ります。

そして、夜明けが近づくと、この祭壇に供えてあった人数分の円餅や柿、栗、昆布などをのせた「歳徳膳(としとくぜん)」を、男女年齢順にいただきます。

歳徳膳をいただくと魂を再生させることができるとされていて、そのため、この膳を「イタダキ膳」とも言います。


年神迎え。

年神をそれぞれの家にお迎えするには、家の中をきれいにします。

まず、一年のほこりとすすを落とすために年末には「煤払い」をします。

次に、年神が他の世界から降りてくるときに目標とする「依代」として「門松」を立て、そこがお祭りの場所であることを示すために「注連縄」を張ります。

そして、家の中には祭壇を作り、年神の来るのを待つのです。

年神の祭壇としては、農村に多い「拝み松」、都市に多い「年棚」の二つの形式があります。

「拝み松」は、床の間に種もみを入れた米俵を置き、上に松を飾ります。

種もみは秋に収穫した米で、翌年の春にまいて再び収穫するためにはなくてはならない大事なものですが、人々はその種もみに穀物の霊が宿っていると考えたのです。

年棚」は、「年徳棚(としとくだな)」「恵方棚(えほうだな)とも言われ、目標とする「依代」として「門松」を立て、そこがお祭りの場所であることを示すために「注連縄」を張ります。

年神のやって来る方角(=恵方)を向いて拝めるよう、台所や居間の天井からつるされます。

この棚に鏡餅、洗い米、お神酒、塩、柿、昆布などを供えます。

また、年神は先祖の霊でもあると考えられていたので、位牌を一緒に祭るところもあります。


 
 
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