とも座・らしんばん座・ほ座・りゅうこつ座・ポンプ座。

とも座・らしんばん座等は、もともとアルゴ船座と言う大きな船の星座の一部でした。

アルゴ船座は面積がとても大きいので、古代ギリシャの、プトレマイオス48星座の頃から、とも座・らしんばん座・ほ座・りゅうこつ座の四つに分かれていたそうです。

ポンプ座は十八世紀にラカイユによってつくられた星座だそうです。

この星座群の中で一番明るい星は、りゅうこつ座αカノープスです。

全天二十の一等星のうち、マイナスのつく星は、シリウスとカノープスしかありません。

シリウスはマイナス1.5等級、カノープスはマイナス0.7等級で、第二位の明るさとなっています。

カノープスは福島県より北では、空に現れないので見えませんが、東京付近では南の低空、およそ二度の高さに姿をあらわすそうです。

町灯りが少なく、南に地平線・水平線が見えるなら、大いぬ座のシリウスの下にカノープスを見る事が出来るそうです。

イスラム経の教祖マホメットは、この星を自分の星として信仰していたので、今でもアラビアでは「マホメットの星」として仰ぎ見られているそうです。

砂漠の旅では、北の北極星に対して、南の方角を知るのにこの星を頼りにしています。

ふつうは平原を意味する「スハイル」と呼ばれていて、それは、この星が地平の果てに低く輝いているためだそうです。


カノープスの名前の由来はギリシャの英雄カノープスで、ナイル河口の一つと同名の市の名前ともなっています。

カノープスはメネラーオスの船の舵取りで、メネラーオスとヘレネーがエジプトに来た時、エジプト王プローテウスの娘テオノエーが、彼に恋しましたが叶わず、彼は毒蛇に咬まれて死んでしまいました。

メネラーオスとヘレネーは彼をカノープスの島に葬り、テオノエーの流した涙からヘレニオン(矢車菊の一種)が生えたとされています。

カノープスはオシリス神の船の、あるいはアルゴ船の舵取りで、船と一緒に星座になったとされています。

もう一つの説明では、カノープスは、トロヤを攻めにいったギリシャの大将メネラオスの艦隊の水先案内人の名前で、西暦前1183年、ギリシャに帰る途中、エジプトのアレキサンドリアの近くに船を寄せている間に亡くなりました。

メラネオスは彼の記念碑を建て、その土地と星にカノープスという名をつけたと伝えられている、そうです。


また、中国では古くから、カノープスを「南極老人」「老人星」と呼んでいました。

洛陽・長安など昔の都からは、南の果てに低く見え、また中国では、南をめでたい方角としていたので、カノープスをめでたい星と敬って社を建てて祭っていました。

老人星(カノープス)が見えた年には、国が良く治まり、見えない年は戦争が起るとしんじていました。

この信仰は日本に伝わり、朝廷では毎年老人星祭を行いました。

醍醐天皇の時代、年号を延喜と改めたのは、この星が現れたためと言われています。

中国ではこの「南極老人」を七福神の一人「寿老人(じゅろうじん)」という、頭の長い背の白い鶴に乗っているいる老人としています。

宗の嘉祐(かゆう)八年十一月の事、都にどこからともなく一人の老人が現れました。

顔や姿が古めかしく異様で、ひょっこり、ひょっこり町を歩き回って、酒を売る店があると、入り込んでガブガブ飲み、いくら飲んでも酔う事がありませんでした。

都ではたちまち大評判となり、老人の行く先々で評判になりました。

中には、その姿をそっと画にうつした人もありました。

やがて老人は宮殿の近くにやって来ました。

仁宗皇帝は老人を召し上げ、酒一刻を賜りました。

するとその酒を七斗も平らげ、天子も宮臣もただあきれているうちに、ドコへとも無く立ち去ってしまいました。

次の日、天文の役人がまかり出て、「昨夜、南極老人が帝座(星の名)にちかづいて、もとの位置に見えませんでした。」と宣上しました。

仁宗皇帝では、「では、あの老人がそれであったのか」とひどく喜ばれました。

今の寿老人は、この時、うつされたもので、これを写したものは宗の詩人、蘇東玻であるとされています。



 
 
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